竹内銃一郎のキノG語録

「あたま山心中」の思い出2016.02.15

先々週に続き先週も競馬に勝利す。この絶好調の波に乗って、今日から「あたま山心中」の改訂に着手。と言っても、大幅な書き換えをするつもりはないのだが。

この戯曲は、吉田日出子さんからの依頼に応えたものだった。確か、最初は旧知の山元清多さんに頼んだところ、多忙もあって、自分より竹内の方がと、彼がわたしを推薦してくれたらしい。山元さんとはまったく面識がなかったのに。なんとありがたい。吉田さんはわたしにとって格別のひとで、大学に入学した年、大島渚の「日本春歌考」で「雨がしょぽしょぽ降る晩(パン)に」と歌う彼女を見て、一目惚れしたのだ。なので、この話が舞い込んできた時、そして、戯曲の構想を伝えるべく初めてお会いした時、ほとんど天にも昇るような夢心地になったことは、30年近く経った今でもよく覚えている。

これは、タイトルからも分かるように、落語の「あたま山」にヒントを得たものだが、吉田さんからの注文は、フェリーニの映画「道」「カビリヤの夜」でジュリエッタ・マシーナ演じたヒロインのような女性を、当時評判になっていたガルシア・マルケスが描く小説のような世界に移して …、というようなものだった。それが …。吉田さん演じる女性を認知症と設定したのはなぜだったのか。多分、前述のJ・マシーナ演じる女性が、この世の倣いに準じることが出来ない哀れさを抱えているところからきたのだろう。

「あたま山」の他にも、例によって例の如く、深沢七郎の「楢山節考」、ガルシア・マルケスの短編、天野忠の詩「遊園地にて」等々からの引用が散りばめられている。今回は、劇中でヒロインが鼻歌する歌詞として、蕪村の俳句を一句つけたすことにしたが、物語の軸になっているのは、メーテルリンクの「青い鳥」だ。前回引用した堀口大学訳の「青い鳥」が本棚になく、amazonで、末松氷海子訳のものと、高野文子の挿絵入りだというので江國香織訳を取り寄せたのだが、なんと後者の挿絵は宇野亜喜良のもので、おまけに戯曲ではなく小説に書き換えられていた。goddam!

自分がこれまで書いたものすべてを面白いと思っているわけではないが、今度久しぶりに読んだこの「あたま山心中」、相当に面白い。われながら感心してしまった。登場するふたり個々とその関係が、あまりに哀れで切ないのだ。世間的には(?)、わたしは「男」の「暴力」を描く「不条理」の作家などと評されているが、そういう「定義」をなさる御仁は、おそらく、この種の戯曲をすっ飛ばしているのだろう。まあ、この戯曲もナンセンス・テイストが多分に含まれてはいるけれど。

共演された串田(和美)さんがなんとも優しいひとで。書き上がったのは本番の一週間くらい前だったか。さすがに稽古場の閾は高かったが、お邪魔すると、「少しづつ出てくる戯曲も面白いもんだね、なんだか新聞小説みたいで」と、お叱りがあって当たり前なのにこんなお言葉を。わたし、泣きそうになりましたな。そうだ、小日向さんと初めて会ったのもこの時の稽古場。彼は、串田さんの代役要員として参加していのだが、本が遅くて出番がなくて …。

思い出は尽きない。

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