若かりし情児に再会す2014.04.13
保坂和志の『未明の闘争』は530頁ある。この一週間ほど毎日読んでいるが、まだ180頁だ。
保坂氏自身もどこかに書いていたが、読み出したらとまらず、ひと晩で読んでしまった、などということを褒め言葉みたいに使ったりするが、ひと晩で読み終えることが出来る小説なんて大したことない。大したことがないからすぐに読めてしまうのだ。ひと晩で読める小説はひと晩で忘れる。そういうことになってる。ウィキペディアは便利で結構だが、やっぱり、ウィキペディアで仕入れた知識はその日のうちに忘れてしまう。
『未明の闘争』は、友人だの飼い猫だのの死を核にしている。<死>を核にして、話が脈絡なくあっちゃこっちゃする。だから読みにくいかというと、それが逆だ。
風通しがいいのだ。脈絡がないということは、昨日読んだところを忘れていても全然気にならない。というわたしは多分、作家にとっては望ましい読者ではないか。
脈絡がないと繰り返し書いているが、しかし、脈絡がないようで繋ぎはしっかりしていて、思いつきをただ羅列しただけでしょ、みたいな戯曲や小説とはそこが違う。玄人だな、と思う。
保坂氏は若い頃、西武百貨店・池袋店で働いていて、そこの「スタジオ200」というホールの企画をしていたようだ。
わたしにとっては2度目の劇団である「秘法零番館」の旗上げ公演は、そこでやることになっていた。1980年の10月だか11月だったか。保坂氏はわたしより10歳ばかり若いようだが、その頃にはもうスタジオ200にいたのだろうか? 結局、どういう理由・事情があったのか、その企画はNGとなって、急遽、下北沢のスーパーマーケットというライブハウスで公演したのだったが。スタジオ200の半分くらいしかない小さな小屋だったので、計算が狂って上演はずいぶん苦労した。
そんな死の記憶をたどる小説がまるで招きよせたみたいな出来事が。出来事?
東映チャンネルで『ネオンくらげ 新宿花電車』を見る。数年前に亡くなった友人のジョージが出ている。
なんの興味もなかった芝居の世界にわたしを引き込んだのがジョージだった。
30数年前のこと。
「タケちゃん、劇団作ろうよ。いい場所があるんだよ。店の客に不動産屋の若旦那がいて、そいつの話だと四谷の駅前に空き地ががあって、家が一軒建ってるんだけど、そこを劇場にすればいいと思うんだ。タダで貸してくれるって言ってるからさ。そこでやろう。タケちゃんがホンを書けば出来るんだから。やろうよ。」
最初の劇団、「斜光社」は、ジョージのこんな誘いから始まったのだった。
ジョージはおかしなヤツだった。わたしと同い年。高校は同棲していたスナックの女の家から通っていた、と言っていた。宮城県の白石市から上京。歌舞伎町をうろうろしていて、やくざの兄貴と知り合い、その兄貴が指を詰めるのを、「見てろ」と言われて見てた、とか。組員ではなかったけれど、山口組が殴りこんできたときは、事務所にいて死ぬかと思った、とか。歌舞伎町で知り合ったベトナム帰りの米兵と喧嘩してどうこう、とか。どこまで本当の話だったのか分からないが、それが話半分だったとしても、ジョージはおかしなヤツだった。
どうしてそんなヤクザまがいの男が芝居なんか? と思われるだろうが、ま、そこがジョージのジョージたる由縁で、さらには、そういうことがさほど変でもない時代だったんですね。
『未明の闘争』のわりと最初のところで、保坂氏と重なる主人公(?)の知人の葬式で、かっての会社の同僚達と久しぶりに出会い、葬式のあと、みんなで横浜で遊ぶくだりがある。ここがとてもいい。他愛もない話が延々と続くのだが、無意味とじゃれあってる、そういう感じで、そこがいいのだ。
この20年ほど、小説なぞというものはほとんど読んでいない。これは前にも書いたことがあるような気がするが、ブルトンは、ドストエフスキーの『罪と罰』を、別にわたしが行くつもりのない質屋までの道順を、なんでこんなに細かく説明するのか、バカじゃないか、みたいなことを言っていて、わたしも同感なのだ。
『未明の闘争』は、もうほんとに、部屋の間取りとか、町の通り等々を執拗に書いている。だから、そういうところはサッサと飛ばして読んでいる。飛ばして読んでも構わないように書かれている、というのはいくらなんでも言いすぎか?
わたしは本を読んでいても、映画を見ていても、その物語の中にずっぽり入ることが出来ず、考えが明後日の方に行ってしまうが、この小説はそのことを許容しているようにも思う。だから、面白いのだ。
ああ、小説だなあと思うのは、これは映画に出来ないだろうなと思うからだ。
映画で他愛ない時間・空間を作るのは難しい気がする。ナンセンスとは違う。アラフォーと思われる数人の男女が、歩きながら延々どうでもいい話をしてる。そんな時間・空間を映画に出来る監督がいるだろうか。
この間見た「トルソ」。若いひとが作る、退屈な日本映画のお手本みたいな映画だった。満たされない日々、ぽっかり空いた心の穴を埋めるべく、アラサーの独身女は、夜、仕事から帰った部屋でひとり、トルソを抱きしめて …
バカじゃないかと思う。この女がメシをまずそうに食うんだ。自業自得だろ、と思った。
「ネオンくらげ」に出ているジョージは、当然若い。30になったかならないか、それくらいだろう。
そうだ、あいつはこんな話もしていた。「プロデューサーがさ、20年前の日本映画全盛期だったら、お前、裕次郎になってるよってさ」。
裕次郎はともかく、映画の中のジョージは、わたしの記憶にあるジョージよりも数段カッコよかった。
ジョージはこの映画の出演をきっかけに劇団をやめ、ジョージの退団が劇団解散のきっかけにもなった。
封切りのときに見たときは、こんな映画のために劇団をやめたのかと腹もたて、がっかりもしたが、久しぶりに見ると、なんか頑張ってるなあと、少し感心した。そして、ああ、ジョージは死んでもいまでもちゃんとつながってるよ、と『未明の闘争』の主人公みたいなことを思い、少し涙ぐんだのだった。