「未明の闘争」と70年代の思い出2014.04.14
またまた訂正とお詫び。でも、今回のものは相当にショック。
前回、亡くなったジョージのことに触れたが、それが<事実>と相当に違っていることが、ウィキペディア調べで判明。
わたしはずっと、ジョージは映画に専念したいから劇団をやめるといって、そのキッカケになった映画は「ネオンくらげ」だと思っていたが、「ネオンくらげ」の公開は73年。しかーし。斜光社を解散したのは79年なのだ、というより、そもそも劇団を旗挙げしたのは76年なのだから、勘定があわないのもほどがある!
なんでこんなことになったのか? いったいいつから<事実>が捻じ曲げられたのだろう?
今回、ウィキ調べでいろんなことが分かった、というか、わたしの記憶はほんとにあてにならないことが。
ジョージと知り合ったキッカケは?
シナリオ研究所で知り合った小澤さんが、研究所を終了後、劇団を作り、彼が作・演出をした芝居にジョージが出演。それで口をきくようになり、その劇団の2回目の公演のホンを、「タケ、書いて」と小澤さんがいうので、わたしが書き、それで親しくなったのだ。
これが多分、70年か71年。
一方、そのシナリオ研究所の講師だった大和屋さんからピンク映画のシナリオを書かないかといわれたのもその頃で、ウィキで大和屋さんのフィルモグラフィを見てみると、70年に「濡れ牡丹 五悪人暴行篇」(監督 梅沢薫)公開とあって、これはわたしのプロデヴュー作、と言えるのかどうか、出来上がった映画を見たらわたしの書いたものの影も形もなかった。同じ年に公開された「(秘)湯の町 夜のひとで」(監督・渡辺護)も、第一稿はわたしが書いて、前作同様、大和屋さんが手を入れ、こっちもほとんど別物になっていたが、わたしの書いた台詞が幾つか残っていた。
ともに、ピンク映画史上に残る傑作。
この頃はよく大和屋邸にお邪魔していて、先のジョージも「行きたい」というので連れて行き、そしたら大和屋さんがえらくジョージを気に入って、ジョージ主演の「セックスハンター 濡れた標的」を書く。これは日活ロマンポルノ作品で、公開は72年。
わたしをして「このひとこそわが師」と思わせた大和屋さんの映画「毛の生えた拳銃」が公開されたのが68年で、彼が講師をしていると知ってシナリオ研究所に入ったのが69年。それで70年には大和屋さんの下でシナリオを書いていたのだから、ここらへんの時間の進み具合が異常に速い。わたしはまだ22,3歳。ジョージも同い年だから、「ネオンくらげ」出演時は25,6歳。若いはずだ。
この頃、歌舞伎町のスナックでジョージと一緒に働いていたのが、いまの木場勝己。ジョージは木場が通ってた俳優養成所の卒業公演を見て、自分も役者に、と思ったのだ。
ふたりは、客の相手をしつつショータイムになると歌を歌っていた。わたしもジョージに誘われてよくこの店に行っていた。結構大きな店で、値段もそこそこしたはずだが、お金を払った記憶がない。ジョージや木場が代わりに払っていたとは思えないし、どうなっていたんだろう?
木場は当時、蜷川幸雄の「桜社」に所属していて、唐さん書き下ろしの「盲導犬」の大役に抜擢されたときは驚き、わたしは唐さんの大ファンだったから、舞台で唐さんの長台詞を滔々と喋っている木場がうらやましくもあったが、とても感動をした。
あれは何年のことだろう? ま、ウィキで調べればすぐに分かるのだが。
去年の暮れだったか、WOWOWで「盲導犬」の舞台中継を見た。宮沢りえ主演で、木場は初演のときと同じ役。どうにも古臭い、というのが率直な印象。初演時にあったはずの、時代の息吹がまったく感じられないのだ。
確かに、ホンは40年以上も前に書かれていて、唐さんの台詞はよくも悪くも風俗によりそっているから、そのことも古いと思わせる要因のひとつにはなっていて、俳優の演技も、いわゆる熱演という以外、ほかに形容のことばが見つからないようなものだったのだが(主演の男の子は誰だった?)、やっぱり演出が古いというか、いや、「盲導犬」を上演する必然、このテキストでなにがしたいのか、そんなもの、演出家の頭の中になんにもなさそうなのが透けて見えて、だから、台詞の古さがひっかかり、俳優達の熱演が空回りしてるように感じられてしまった、と。
『未明の闘争』にはまったくあきれてしまう。もちろんこれは、「下らない」と同じくらいの褒め言葉。
ようやく折り返し地点くらいまでにたどりついた。星川(主人公)の家に、アキちゃんという古い友人が夜遅く突然やってきて、ふたりで幽霊・前世の話をする。そこから、ドストエフスキーの小説「分身」の話になり、そこへ、隣の小池さんの奥さんがやってきて、不倫の話になり、その間に時々、星川が飼ってる猫の話が挿入され、そうこうするうちに、星川が会社の同僚の女性と和歌山へ不倫旅行に行った話になり、その和歌山には友人がいて、その友人が子供の頃、神隠しにあったという話を彼の母親から聞かされて、等々。もう、ずるずるずるずる次々と色んな話が、印象でいえば、接続詞なく繰り出されるのだ。
以下は、P244の一部。
蛯ガ沢(和歌山の友人)に神隠しの話はイヤなのかと訊くと、「自分の存在がぐらっとすんねん」と、蛯ガ沢は言った。
人間は不便なものだ。羽根木のマンションにいた頃ピルル(主人公の飼い猫)は小さくて活発でしょっちゅう階段を降りて敷地の外に逃走した。その頃ちょうどピルルとそっくりの黒い子猫がどこからか遊びに来ていて、妻の佐織は、あの子とピルルがどこかで入れ替わっていたらどうしようと、真剣な顔でたまにあの頃のことを思い出すと言うのだが (以下略)
接続詞なくというのはこういう風に、話し変わってというような前置きがなく、どんどん間断なく、話があっちからこっちと続けられる、という意味で。でも、分身・幽霊・神隠しと、飛んでるようで話は一貫しているのだ。
イビチャ・オシムのサッカーというと、「人も動く、ボールも動く」と言われ、とても自由で遊び心が横溢していて、みたいに思われているが、一方で、彼はよく、日本のサッカーにもっとも足りないものは、ディシプリン=規律だと言っていた。この小説は、そんなオシム・サッカーを思わせる。日本語の正しい文法から時々逸脱し、それがこの上もない自由さを感じさせるが、一方で、実は厳格な規律のもとに書かれているのだ。
さしたる事件らしい事件はなにも起きないが(といっても不倫旅行くらいはする)、この話の飛び具合がスリリングで、あきさせない。先に挙げた「分身」、チェーホフの「学生」への言及、楳図かずおの「半魚人」の紹介等々と、実にネタも豊富で、ここらへんが一時期新しい演劇などともてはやされた「静かな(=退屈な)演劇」群と決定的に違うところだ。
人間の脳は、対象を理解するとき、<物語>にして理解するように出来てる。それは、ひとは三つの点が三角形をなしてると、ひとの顔と認識してしまうのと同じで、ひとが生きていくためには多分、この種の誤認(?)が必要なのだ。
だから、反・物語と言ったって、それはそういう形の物語なのであって、そういう論自体が、間違いなく物語の形式で書かれているはずだ。
幾つかのエピソードをまとめるための装置として物語の形式が必要なのだ。ジグゾーパズルに例えていえば、エピソードはピースで、物語はそれらをまとめる枠のようなものだ。それ以上でも以下でもない。
今気がついたのだが、ジョージたちが働いていたスナックの名は「鴉」。で、ジョージ等が劇団をやめ、木場たちと新しく作った「秘法」の旗揚げ作品のタイトルが「あの大鴉、さえも。」。偶然にしてもよく出来てる。
そうだ。ウィキを見ていて気になったことが。あれは70年代の半ばくらいか。いや、もう斜光社を始めていたかも知れないから …。とにかく。大和屋さんに依頼されて書いた「ミラー」というシナリオがあって、結局映画化には至らず、話の内容は、例によって例の如くなにひとつ覚えていないけれど、それがなんと、本になって出版されているらしい。大和屋さんと共作ということになっていて、それは多分、師が手を入れたからだろうが、わたしには今にいたるまでまったく知らされていない。
どういうことだ、これは?