いよいよ本番、本日初日。2016.07.15
それにしても、時の流れの早いこと。ついこの間、稽古が始まったと思ったら、もう本番だ。
昨日、4日ぶりの通し稽古。当然のことながら、出来上がった舞台装置で、照明が入っての稽古は初めて。おまけに、この2日は仕込み等のために、A級Mの諸君は早朝からフル回転しており、正直なところ、芝居の出来にはあまり期待していなかったのだが、予想を遥かに上回るものを見せられた。腹八分でよかったのに、満腹! 最高の仕上がりではないか。これで、あとはお客が入ってくれたら、もう言うことないのだが …
数日前。夜遅く家に帰って、TVをつけると、「介護殺人 わたしは家族を殺した」という刺激的過ぎるタイトルの番組が映し出された。家族の介護に疲れはてて、殺してしまったひとが登場。ひとりは、腰の骨を折って動けなくなった妻を殺した夫。もうひとりは、認知症になった母を殺した息子。なぜそんなことをしたのか、問われるままに答える彼らの語りに、目と耳と、心奪われる。そして、明日は我が身では? と想像して震える。介護する側になるのか、される側になるのかは知らねども。そして更に、わたしはあと何本、芝居の演出に関われることが出来るのだろうかとも。
一昨日。どういう話の流れだったのか、楽屋で土橋くんと山中貞雄の話になった。28歳で夭折した、天才と称された戦前の映画監督である。20年以上も前の話だが、故・黒木和雄さんに依頼され、彼を主人公にした映画のシナリオを書いたことがあり、小津安二郎の映画を見直したのは、それがそもそものキッカケだった。山中と小津は無二の親友だったのである。山中には数々の有名な逸話があるのだが、中でももっとも知られているのは、戦地に赴く前、友人に語ったと言われている次のような言葉である。
あれが遺作になるのはかなわん。
あれとは、今なお傑作と評価の高い「人情紙風船」である。先にも記したように、彼はまだ前途ある28歳で、まだもっと映画監督として高みに行ける自負・自信と死の恐怖とが、それを言わせたのだろうが …
本番を目前にして思いは様々にかけめぐるが、願わくば、今回の公演が、客席を埋めた観客諸兄にとって、忘れがたい思い出となり、関わったスタッフ・キャスト諸君にとって、誇らしいキャリアにならんことを!