竹内銃一郎のキノG語録

安倍さんと「進撃の巨人」2016.09.19

久しぶりに、「訪問インタヴュー」でお元気な安倍さんを見る。この番組は、80年代半ばにNHKで放映されたもので、それが30年の時を経て、いま日本映画チャンネルで再放送されているのだ。安倍さんとは、もちろん晋三ではなく、公房氏である。

安倍さんと直接お会いしたのは、二度。以前にも書いた記憶があるが。初めてお会いしたのは、いまはもうない「ホテル西洋銀座」のスイートルーム。こちらもいまはもうないセゾン劇場から、氏の「榎本武揚」演出のオファーがあり、戯曲に手を入れてよければと条件をつけたら、氏よりOKが出て。それでホン直しにとりかかったら結果、半分くらいが変わってしまった。その直しの入った台本を氏に読んでもらい、そのご返事を伺いに出かけたのだ。「なんだ、これはッ!」とお叱りがあれば、即、この話はなかったことにしようと腹をくくっていたのだが、意外や、氏は上機嫌。「これ、面白いよ」とお褒めの言葉を頂いたのだった。二度目は、その舞台の本番初日。「榎本武揚」は、わたしが演出をてがけた中に幾本かある、不本意な作品のひとつで、多くの方々からも不評の声を聞いたのだが、唯一好意的な感想を伝えてくれたのが、安倍さん。いや、好意的というより、あれは励ましの言葉というべきだろう。曰く、「大変だっただろう。きみの苦労が手に取るように分かる芝居だったよ」と。そして更に、「これから毎年一本、この劇場でわたしの戯曲をきみの演出で上演しよう」という有り難いお言葉もいただいて。しかし、その後、体調を崩され、一年半後にお亡くなりになり …

氏とお会いした90~91年のはずだから、先の番組は、それより5、6年前に作られたものだろう。わたしの記憶の中にある安倍さんとは、まるで別人。この頃はまだお元気だったのだ。驚いたのは氏の声である。それは、TV画面を通してという条件付きだが、久しく聴いたことのないものだった。ひとは誰でも、TVカメラを前にすると、多かれ少なかれ緊張を強いられる。そして、その緊張(=不安)が、本来の声や表情にある伸びやかさを奪ってしまうのだが、さらに近年とみに、ひとみなタレント化し、結果、受けを狙うあまり、声も表情も、視聴者への媚びへつらいのバーゲンセール状態になっている。安倍さんにはそれらがまったくない。実にリラックスしていて、実に伸びやかで豊かな声であり、表情なのだ。

「誰でもね、画面に映るそれが、一瞬で、ドキュメントかドラマか区別がつくでしょ。多くの俳優は意味の説明に終始してるからね。普段、ひとはそんなことはしてませんよ。でもみんな、それが演技だと勘違いしてるんだ。」とは、インタヴューの中での安倍さんの弁。しかし、いまは当時とは大きく様変わりしていて、両者の判別がつきにくくなっている。先にも記したように、政治家であれ素人であれ、みなタレント化して、ドキュメントがドラマの方にすり寄っているからだ。安倍さんの声・表情が豊かに思えるのは、自らの言動に迷いがないというか、他人の思惑をさほど気にしないからだろう。ということは、受け狙いの言動を弄ぶのは、心中の不安の現れということになる。いまは誰もが、他人の視線や鼓膜を気にせずには生きられない、という哀しい時代なのだ。

「訪問インタヴュー」での安倍さんの話をベースに、最近、初めてTVで見た「進撃の巨人」(アニメ版)について書こうと思うのだが、長くなったので、以下は次回に。

 

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