竹内銃一郎のキノG語録

横尾と深沢2014.06.06

喉がひりひりするので、まだ花粉が? と思いきや、どうも風邪をひいてしまったらしい。少々熱っぽくてからだもだるい。
火曜日、ウイングフィールドで芝居を見た際、わたしは冷房の風が直撃する席に座っていたのだ。多分、あれが原因だ。その日はなんということもなく、翌日の午前中は2時間ほど散歩をしたのだが、体調の異変に気づかず、夜、お風呂に入ったのもまずかった。床につくがなかなか寝つかれず、眠れないまま朝になって、ようやく体調不良に気づく。
幾日も続いた猛暑にダメージを受けて、からだが弱ってもいたのだろう。
横尾忠則の『隠居宣言』読了。編集者の用意した質問に横尾が答える、という体裁になっている。大半の質問は、「隠居」に関するもので、となると、結局のところ、横尾は自らの人生観を語るほかなく、退屈ではないのだが、似たような話の繰り返しで途中で飽きてしまった。質問が似ているのだから、答えが似てしまうのは当たり前の話だ。
ここで何度か前に書いた、深沢七郎と健さん。おふたりとも横尾とはつながりがある。もちろん、意図していたわけではない。
F・S氏は、彼の団子屋の包装紙のデザインを横尾に依頼していて(ただで!)、また、横尾の健さんファンは有名で、あれはなんの映画祭だったか、背中に刺青を背負った健さんを真ん中に置いたポスターも描いている。それがきっかけなのか、11PMで実現したふたりの対談は、ともにもじもじして10分ほど何も喋らず、そのまま終わってしまったことで、いまも伝説となっている。
隠居宣言は、自由の獲得のためだったと彼は書いている。まさに時代の寵児であったイラストレーター時代は、忙しいばかりでほんとに辛かった、と。そして、隠居生活の快適を知って、あと10年早く宣言すべきだったとも。
よく、仕事に追いまくられて忙しい状態を自慢げに語るひとがいるが、イスラムの世界ではそういうひとは軽蔑の対象になるらしい。神への祈りに割くべき時間を削って働いているからだ。
いまだに「生涯現役」を誇らしげに語るひともいる。横尾は、定年になったらもう働くのをやめて、好きなことをしながらのんびり暮らせばいいのにと書いているが、わたしも同感だ。
サラリーマンにはある定年が、わたしらのような仕事にはないので、自分で決めなければならない。横尾の宣言はそういう含みがあったようだ。ま、需要がなくなれば自然にリタイア、ということになるわけですが。
一度は読むのを放棄したが、一応最後まではと思い直し読むことにしたら、こんな箇所があった。
「異路倫」と書いて「ケロリン」って読むんです。異路倫っていうのはどういう意味かというと、「アウトサイダー、異端」っていうことです。ドロップアウトしたっていうことかな。つまり、世の中の約束事、慣習、慣例、習慣、常識、定番、法律、法則を無視した生き方ですね。(中略)そういう生き方の技術を学ぶ、隠居の技術っていうのはそういうもんじゃないかなと思いますね。
これは、隠居と隠者とはどう違うのかという質問への回答で、鴨長明(隠者の代表)みたいな生き方は、ストイック過ぎるでしょ、もっと気楽に、という言葉につなげたもの。
アウトサイダー、異端というとなにやら大仰だが、ケロリンという音がいい。ふざけているようで、カッコイイ。

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