竹内銃一郎のキノG語録

寒々とした心持ち …  「シン・ゴジラ」を見る2016.11.03

昨日「シン・ゴジラ」を見に行ったら、同じシネコンで「ハドソン川の奇跡」も上映されていることを知り、今日は朝もハヨカラ京都駅前のシネコンへ。朝9時の回だけしかもう上映されてないのだ。「シン・ゴジラ」に出かけたのは、さほどの興味もなかったけれど、流行りものには触れておくというのは、歳をとったら必要な心掛けだと思ったからだ。といって「君の名は」までは手が(足が?)回らないのだが。

予想していたよりもずっと面白いと思った。しかし、映画館を出てしばらくすると、なにか寒々とした心持ち。むろん、外が冷え冷えとしていたからではない。面白いと思ったのは、最初はなめくじの化け物みたいだったゴジラが、瞬く間に進化・成長して巨大化し、更に、立ち上がって二足歩行するという、<人間的な>設定だ。それにしても。相変わらず日本の俳優は、政治家や大企業の経営者等の一国を動かすような権力者や、学者・科学者のような高度な知性を持つ人間を、満足に演じることが出来ない。大杉漣が首相だもんなあ。町工場のオヤジか、ひいき目に見ても、地方の信用金庫の理事長くらいにしか見えない。笑ったのは防衛大臣役の余貴美子。こちらは板橋あたりのスナックのママと言ったところか。おそらくモデルにしたであろう小池百合子も確かにお水っぽいが、本家には銀座のクラブのママくらいの貫禄がある。唯一の◎は、首相以下がゴジラにやられて亡くなった後の、つなぎの首相役を演じた今泉成。出番はそんなにないのだが、ラーメンをすすりながら「首相ってのは大変だなあ」とポツリぼやくところで笑った。遊びがいっさいないこの真面目一徹な映画で、唯一ほっこりさせるひと。

とにかく大人数が出る。おそらく100人近い俳優に役名があり、かってわたしの芝居に出演してもらった人たちもちらほら。この国の30~70代の男優全員に、「赤紙」が届けられ、召集がかかったのでは? 人間だけではない。飛行機だの戦車だのの武器弾薬も、これでもかとばかり使われる凄まじい物量感に驚かされる。しかし。

わたしは子どもの頃から、この種のいわゆる怪獣ものが好きではなかった。なぜか。それは人間があまりに卑小なものとして見なされ、ゴミのように扱われるからだ。怪獣が踏みつぶした家々にも、放り投げられた新幹線等の列車の中にも、ひとがいっぱいいるわけで。そういう人々はどうなってンの? 知らん顔ですましていいの? と子どもながらに憤ったのだ。むろん、その憤りは怪獣等にではなく、こういう映画を作る製作者たちに対してである。その<野蛮な>基本姿勢は今回も変わらない。変わらないどころかさらに強化されている。画面の大半を占めているのは、乱暴狼藉を働くゴジラとそしてオエライ方々たち。そのオエライひとたちも、先に記したようにゴジラの熱光線(?)にやられ、その死に際が映し出されることさえないのだから徹底してる。巷ではこの映画について、エヴァンゲリオンに絡ませて、神がどうたらこうたらと言ったようなもっともらしいご高説が飛び交っているらしいが、わたしが見たところ、「小異を捨てて大道につけ」というのが、この映画のテーマではないか。「勇ましさ」が過剰に顕揚されている。見終わったあとの寒々とした心持ちは、おそらくここから来ている。ゴジラの蹂躙を描く映像は、明らかにあの東北を襲った大震災の際に繰り返しTVで流された映像をモデルにしていて、そんなに遠くない未来にこの国を襲うであろう巨大クライシスを予感させるに十分なものだ。しかし。

最後に「この国の復興を信じている」という意味の台詞が、とってつけたように、次々期首相を予想されている男の口から語られるが、その前でも後でもよろしい、この未曽有の大災害で、いったい何人の人間が亡くなったのか数字をあげるくらいのことはしろよ、というのが、わたしのもっとも愚直な感想である。

 

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