竹内銃一郎のキノG語録

コロちゃんと大鴉2016.11.14

昨日、コロちゃんが負けてしまった。コロちゃんとは、POGのドラフトでわたしが2番目に選んだコロナシオンのこと。母親はGⅠを6勝した名牝ブエナヴィスタで、この馬もわたしの所有馬だったから、所有馬15頭の中でもとりわけ思い入れがある。そんな血統的背景もあり、新馬戦の勝ちっぷりもよかったから断然の一番人気だったのだが、5頭立てのレースでよもやの4着。しかし。わたしが命名した愛称通り、コロコロしていてまだ競走馬のからだになっていないから、これは想定内。失敗は成功の母。本番のオークスまで時間はたっぷりある。焦らず、そしてケガさえしなければ、女王の座にきっとつけるはず。因みに、コロナシオンとはスペイン語で戴冠式という意味だとか。

少なからずのショックを抱えて大阪のABCホールへ、「大鴉」の最後の上演を見に行く。再見して、ああ、そういうことかと分かったことが多々あったが、そのいちばん大きなことは、東京では夢うつつ状態で見ていたのだ、ということだ。

昔、ボクシングでKOされたことがある。二十代半ばの頃だ。友人たちと一緒に、桜前線を追いかけて、という内容の映画を撮るために日本中を旅したことがあり、その途中、同道した仲間のひとりに、元・天井桟敷研究生で元・ボクシングの4回戦ボーイという「ウォンくん」なる男がいて、彼がボクシングのグローブをふたり分持っていたので、わたしの方から「ちょっとスパーリングしない?」と誘ったのだ。何を隠そう、わたしは大学2年のとき、体育の授業でボクシングを選択していて、授業中、講師の白鳥先生のご指名で彼とスパーリングをし、かってオリンピック選手だった先生に、パンチを一発お見舞いしたという、なかなかの強者だったのである。だから、4回戦ボーイくらい軽いものと思って挑んだのだが、始まって30秒もしないうちに、テンプルを打たれてひっくり返ってしまったのだ。なぜこんな昔話を持ち出しのかと言えば、東京で「大鴉」を見ていたときの状態が、ウォンくんにKOされた時のそれに、とても似ていたからだ。

舞台装置を目にして、なにが始まるんだろうと緊張が高まり、そしていざ始まるや。それはわたしの想定から遠く離れた始まりの5分10分で、まさにKO、<夢見心地のいい気持>状態が最後まで続いたのだった。「大鴉」について以前に書いたブログの記述に何カ所か間違いがあるのは、おそらくそのためだ。ついでだから書いておこう。KOされたボクサーが何度も立ち上がり、あるいは立ち上がろうとするのは、多くの方々が思っているのとは違って、負けるもんか、まだまだだ、という意思表示ではなく、KOされるといい気持ちになるので、もっともっといい気持になりたいと、そう思うからなのだ、多分。

終演後、三人娘(!)、そして小野寺さんと少し話す。三人は口を揃えて、ステージごとに観客の反応がこんなに違う芝居は初めてだったと言う。それ最高でしょ、とわたし。人間がやることだもの、芝居が毎日変わるのは当たり前のことだし、観客だって毎日違うのだから、反応が変わらない方がおかしい、と。固まったまま何度やっても変わらない芝居は、もう芝居じゃない。「結構途中で帰る客がいたんですよ、全ステージ合計で30人くらい?」と小野寺さん。それくらいは想定内でしょ、とわたし。真面目な観客は、物語を真面目に追いかけるので、今回のように時々それが寸断されると、わけが分からんと思って席を立っちゃうんですよ、と。

こんなことを書くと、少なからずの方々から反発を買うかもしれないが、大体、分かるとか分かるとかなんなの? 分かるということはそんなに重要なことなの? TVの美術館めぐりみたいな番組で、漫才のおぎやはぎあたりが偉そうに、「これは分かる。これは分からない」なんて言ってるのを見ると、ホントに腹が立つ。自慢じゃないが、「大鴉」関連で言えば、わたしはデシュンの「大ガラス」にせよ、ベケットの「ゴドーを待ちながら」にせよ、分かってるのかと問われれば、「全然」と答えるだろう。彼らの作品は面白いと、それ以外の言葉はない。もちろん、なぜ面白いと思うのかは自分なりに考えるけれど、それは、理解したいというより、そう思う自分っていったいなに? というところに行きつくものだ。今回の「小野寺版」も同様で、繋がってたものが寸断されたり、繋がりようのないものが繋がってしまったり、そういう現象(?)から生じるテンヤワンヤに、わたしはドキドキしたり、ワクワクしたり、ゾクゾクしたりしたのだ。分かってるわけじゃない。分かったことはただひとつ。東京で見たときと違って今回は結構冷静に臨んで、しかも面白かったから、改めてこれは大変な芝居だと、それだけである。

一覧