「かごの鳥」のデータ化、只今進行中2016.11.16
まだ11月半ばだというのに、もう一年が終わったような心持ち。わたしはとにかくせっかちなのだ。
先月の始め、「大鴉」「あたま山心中」の観劇等あって、久しぶりに帰った浦和の自宅の、本棚やらなにやらを整理していたら、「かごの鳥」のナマ原稿が出てきた。この作品は、女性のふたり芝居という希少価値もあってか、以前から上演希望が多く、しかし、単行本未収録で、なおかつ、昔の作品なのでデータもなく、仕方がないので、わたしが演出した際に使用していた一冊しかない台本を、上演希望者に送っていたのだった。それがある時、最初の4頁がないんですけどと指摘され(希望者の誰かが紛失したまま返送し、それにわたしは気づかなかったのだ)、「上演可能な作品リスト」から外していたのはそのためである。
思わぬ形で再会したナマ原稿をもとに、二週間ほど前から「かごの鳥」のデータ化に勤しんでいる。この作品は、当時秘法零番館にいた別所(文)さんに書いてもらったものに、わたしが手を入れて出来上がっている。ずっと、全体の6~7割はわたしが書いたものと思っていたが、久しぶりに読み直してみると、わたしでは思いつけないところが多々あり、フィフティ・フィフティとみるのが妥当か、と(別所さん、御免ナサイ)。奇しくも、出演者のひとりが片桐はいり! もうひとりは秘法にいた森永ひとみで、ふたりともまだ22、3歳だったはず。懐かしい。少しづつ手直ししながら書き進めているのだが、時々、当時の彼女たちの声や仕種が記憶の底から甦り、それが助けになっている。
幼馴染で無二の親友だったふたりが久しぶりに再会し、楽しいひとときを過ごしていたところを、ともども何者かに拉致されて …。劇は、ふたりがどこだか分からない場所に監禁されているところから始まる。ふたりは、「お母さま」と呼ぶカナリアや、「叔母さま」と呼ぶガラスの小瓶や、「和歌山のおばあちゃん」と呼ぶロープ等々の力を借りて、なんとか<かごの鳥>状態から脱出せんと試みるのだが …。ふたりが最後の頼みとする「兄さん=お兄さま」は、助けに来てくれるだろうか。にしても。彼女たちが勝手に「おじさん」と呼んでいる拉致者(声はすれども姿は見せず)は、いったい誰で、どういう理由・目的があってこんなことを?
監禁状態にありながら、まるで子どもに帰ったように、ふたりが無邪気に過ぎる遊びに興じるのは、おそらく別所さんのアイデアで、そこが楽しい。また、昭和のはじめ頃という時代設定を、慶応の水原がどうしたとか、三原山の火口に飛び込んだ女学生のエピソード等によって明らかにするのも、別所さんならではの丁寧さで嬉しい。
今月中には書き上げるつもりなので、上演を希望される方、読んでみたいと思われる方は、「リクエスト」を経由して、遠慮なくご連絡下さい。