竹内銃一郎のキノG語録

計画を立てている間に人生は通り過ぎる。  映画「雪の轍」を見る。2016.12.10

録画したまま長く見ずにいた映画「雪の轍」を見る。青柳が今年の年賀状で「去年のベスト1」に推していたのでずっと気になっていたのだが、3時間を超える大作ということで、なかなかその気になれなかったのだ。ウィキで紹介されている「あらすじ」はひどいもので、まあ、この映画に限ったことではないのだが、3時間を超える映画を千字程度にまとめようというのは、神をも畏れぬ所業だ。と書いておきながら、簡単にそのストーリーを、というより、中身を紹介すると。

舞台はトルコの有名な観光地・カッパドキア。主人公(推定62歳)は、元・俳優で、いまはホテル経営等をしている実業家で、地元紙にエッセーを連載し、「トルコ演劇史」に関する本を書かんとしている作家でもある。彼を取り巻く人物として、娘かと勘違いするほど若い美貌の妻と、バツイチの妹、そして、秘書的な仕事をしている男がいる。他に、農場経営者の古い友人、主人公が所有する家作を借りていて、長く家賃を払っていないイスラーム導師家族が主な登場人物。映画は、主人公と上記の人々との間で交わされる「果てしない議論」で、ほぼ埋め尽くされている。ざっと2時間半ほどはあろうか。中でも、物語中盤の、妹との深夜の議論(約20分)と、終盤の、妻とのこれまた深夜の議論(約30分)が白眉。妹は、兄の書く文章は、万人向けの、ありきたりな感傷に堕したものだと痛烈な批判を浴びせ、妻は、主人公の「わたしの罪とはなにか」という問いに、教養もあり誠実そうに見えて、その実、人間不信で他人のためにはなにもしないところだと答える。

という要約にさほど意味があるとは思えない。肝要なのは、なにが語られているのかではなく、膨大な言葉を費やしながら了解点を見いだせない虚しさ・やりきれなさ・淋しさ等々の「マイナス感情」と、言葉=知力を尽くすことから得られる充実感、徹底した議論が可能な相手がいる歓びという「プラス感情」とが微妙に絡み合う、濃密な時間がそこに流れているということだ。前述したふたつ以外の「果てしない議論」も、すべて深夜の暗い室内でなされる。その照明の具合がまことに絶妙。俳優たちの高度な演技力にそんな照明効果も手伝って、まるでその議論の場に立ち会っているかのような臨場感。演技力などと書いたが、これは演技か? と疑念がわくようなリアリティ。明らかにうまいマズイを超えている。

主人公の、妹や妻が自分に抱いたあこがれや期待を裏切ったという悔恨を抱えているという設定等から、まるでチェーホフの作品のようだと思ったが、ウイキに、これはチェーホフの小説「妻」(未読)にヒントを得て作られたものとあった。

今回のタイトルは、主人公が、バイクで放浪の旅を続けているらしい、泊り客の若者に語る言葉。冒頭にその名を記した「青柳」とは、その昔、東京乾電池に所属していて、わたしの舞台の演出助手を何度かお願いした男で、現在は切り絵似顔絵師(!)の青柳省吾のこと。

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