誰もが生き急ぐなかで。 今年の回顧①2016.12.30
朝8時過ぎから小一時間の散歩。家を出て少し歩くと、川があり山が見え、家の近くの商店街にはいつも頃合いの人通りがある。どうしよう、この恵まれた環境から離れがたい。川には水鳥がいたがあれはなんという鳥か。土手には花も咲いているがその名も知らない。わたしはなにも分からない。現在地球上には70数億のひとが生きて生活をしているらしいが、わたしがそのひととなりを知っているひとは、70数億のほんの一握りどころか、小指の爪の先の垢ほどもいないだろう。わたしが分かっていることは、大目に見てもせいぜいその程度だろう。
散歩から帰って、PCを開いてヤフーニュースを読む。電通の女性社員自殺を受けて、マスコミで働く女性が自らの過酷な職場環境を嘆いている。長時間労働に加えて絶え間ないセクハラ。こんなゆったりと来し方行く末について考えることも出来ないような状況下にあって、まともな記事や番組を作れようはずはなかろう。マスコミだけではない。みんな忙しい。わたしは10数年間、大学に勤務していたが、最初の1年目に比べると、定年で辞めた最後の1年は格段に忙しくなっていた。どうしてこんなことになったのか。やはり資本主義がいけないのか。大学はなにかにつけて数字を出していた。例えば受験者数が前年を、あるいは直近5年の平均を上回ることが、常に当然の目標として掲げられていた。資本主義の分かり易い一例である。
根津甚八が亡くなった。これまでもこのブログで幾度も、<奇しくも>という言葉を使って思わぬ偶然を書いてきたが、つい先日まで日本映画チャンネルで「訪問インタヴュー 唐十郎篇」が放映されていて、それを見ていた。根津は唐さんの最初の劇団「状況劇場」の人気俳優で、退団後、映画・TVで活躍したひと(念のための注釈)。唐さん、当然のことながらお若い。お肌つるぴか。仰ってることもお若い、というか、近大での氏の最終講義でも似たようなことを仰っていたから、ずっと変わらず歳を重ねてこられたのだと再確認。これはもちろん皮肉ではなく。お元気だろうか。一ヶ月ほど前になるのか、吉本新喜劇の島木譲二が亡くなって、その年齢がわたしと三つしか違わないことにも驚いたが、根津がまさかわたしと同い年だったとは!
今年書いたブログのタイトルをざざっと見る。直接ソコに触れているわけではないが、小さな子供や若いひとたちの無残な死に溢れた一年だったことを思いだす。このことも年を追うごとに露出度が増してるような。ああ、1月にまーちゃんも亡くなっている。まあ、こちらは天寿をまっとうされたわけですが。という社会の流れの中で、朝、川面に浮かぶ鳥たちをいつまでもぼんやり眺めていることが出来る今日のわたしは、まことにありがたき幸せというか、なんだか申し訳なくて消え入りたいのココロヨ。