竹内銃一郎のキノG語録

上手いとか下手とかの外がある。 今年の回顧②2016.12.31

昼食をとってひと息ついた後の大体2時頃から、以前にも触れた保坂和志の著「試行錯誤に漂う」を読むのが、このところの日課のひとつになっている。保坂はわたしより10歳ばかり年少だが、この十数年、前田英樹とともに、わたしがもっとも刺激を受けている作家だ。書かれていることは難解というより面倒くさく、だから長い時間つきあえないので一日に20頁ほどしか読めない。面倒くさいけど(から?)面白いから、毎日少しづつ読んでいるわけだ。書かれている内容は多岐にわたっている。イチローや将棋の羽生も登場するが、主に彼が読んだ、読んでいる本のことで、取り上げられている何冊かをわたしもAmazonで購入。昨日は、音楽のことなどほとんど知らないのに(だから?)、デレク・ベイリーというギタリストの本まで。大丈夫か、タケウチ。

カフカにとって書くことは、読まれることと対になっているわけでなく、書くことは書くことだけで完結する、というより放り出される。(p88)

カフカにまつわる現代社会予見説(ひとまとめにして)や、ベケットの、おもに、というよりほとんど『ゴドー』のみの救済者・絶対者の不在説は、作品の意味の層において作品を社会と結びつける。(中略。しかし、ユゴーやトルストイとは違って)二人とももっと小さな声で書いた。自分の声が社会の隅々にまで届くことを二人とも望まずに書いた。この声の小さいことは大事なことだ。(p102~103。括弧内は竹内記)

絵が描けるから、楽器が弾けるから、文章が書けるから、と言って簡単に何かを上手にやってはいけない、そんなことは高校生ぐらいにまでに任せておけばいい、絵も音楽も文章も、上手くできるからやる、上手くできないからやらない、そんなことではない、上手いとか下手とかの外がある。(p201)

上記は、先に記した「試行錯誤に~」からの引用。今年わたしがブログに重ねて書いてきたことと重なっているのは、彼の影響大なることの証(?)でもあろう。

最後に、今年の「刺激的!」を掲げて本年の締めくくりとしよう。

「ノスフェラトォウ」(W・ヘルツォーク監督)ほど<胸のときめき>を感じさせた映画はこれまでなかったし、「マイ・ファニー・レディ」(P・ボグダノヴィッチ監督)ほど笑った映画もあまり記憶がない。ともに、70年代を代表する監督だったが、その後の活躍をわたしは知らず、40年の時を経て、忽然とわたしの前に登場。後者の製作陣にあのW・アンダーソンが名を連ねているところがなんとも嬉しい。にもかかわらず! ネットで見たら、アメリカでは、とりわけ批評家たちには、かなりの不評だったらしい。笑えないのが …なんて輩もいたとか。もう!  演劇は自分が直接・間接に関わったもの以外ほとんど見ていないが、小野寺さん演出の「大鴉」から受けた衝撃は、おそらく一生モノだろう。芝居を見て、もう演出はすまいと思ったのはこれが初めてだ(いまはもうヤッテヤルゾという気持ち満々で。なんという変わり身の早さだ!)。

ブログで取り上げなかった本では、「憲法9条とわれらが日本」(大澤真幸編 筑摩書房刊)。「安保法制問題」に対するシールズ等の<市民>運動へのわたしの違和感の理由が、これを読んで明らかになった。自衛隊の存在を容認・黙認しておいて、徴兵制に反対するのは、要するに、危ないことは他人(自衛隊)に任せて、わたし(たち)は家族・子供を守ります、ということで、これは、とんでもない偽善者の虫の良すぎる言い分ではないだろうか。

TVは、地上波に限れば、わたしの中ではもう消滅寸前になっている。ドラマもワイドショーもバラエティもお笑いもスポーツ中継も、すべて×。どれもすでに出来上がった先人あるいは自分自身のパターンを、忠実になぞっているだけだ。現在興味の対象になっているのは、カンテレの朝の番組「よ~い、ドン!」とNHKの「ファミリーヒストリー」、NHKスペシャル等のドキュメンタリーくらい。ものみな薄汚れていくTV界の中で、サンドウィッチマンとトレ・エンの漫才・コントと、「ダイアンのお忍び飯」、それに先に挙げた「よーい、ドン!」のMC高橋真理恵アナと円広志は、変わらず燦然と輝いている。「ダイアンのお忍び飯」とは、「今ちゃんの実は~」という関西ローカルのバラエティ番組の中で月イチ放映。人里離れた秘境にある知る人ぞ知る名店に、ダイアンのふたりが悪戦苦闘の末にたどり着くという抱腹絶倒の旅番組だ。そして彼らよりもなお、いま現在わたしの最大の関心の対象になっているのが、フジテレビの深夜のニュース番組「ユアタイム」のMC市川沙椰だ。先に、TV番組とそしてその出演者たちは、先例をなぞっているだけだと書いたが、彼女だけは例外。どこまで意識的なのかどうかは分からないが、明らかに現在のTVの中で、彼女の言動は異彩を放っている。応答する表情、揺れる眼差しが生々しくて、そこがいい。まさに、「上手いとか下手とかの外がある」という保坂の言葉の具現化で、「彼女こそTVだ」と思わせる。ネットでは、彼女への批判がかまびすしいようだが、なにも分かっていない輩ほど吠えたがる。市川さん、頑張って。いや、いまのTVで頑張ることにさほど意味などないかもしれない、辞めて別のことをした方が?

というわけで(なにが?)、変なしめくくりになりましたが、これをもって本年のわたしメのブログ、終わりといたします。皆様、よいお年を。

 

 

 

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