散髪したら雪が降る2017.01.16
東京と京都の天気の違いにはさほどの驚きもないが、同じ京都市内でこれだけ違うかと驚いたのは昨日の日曜日。3場開催の予定だった競馬が降雪のため京都・中京開催が延期となり、ぽっかり空いた気持ちの穴を埋めるべく、お昼過ぎ、NHKで「全国女子駅伝」の中継を見る、とこれが! わたしが住んでいる伏見桃山は青空が見え、雪もちらほらとしか降っていないのに、競技が行われている京都の西北あたり(?)、走る選手たちの判別が出来ないほどの猛吹雪なのだ。小さな島国と思われている日本が、実は赤道の八分の一ほどもある長い長い列島であるのと同様、盆地だから夏は暑く冬は寒いと思われている京都も実は、実に広いのである。
映画「マダム・マロリーと不思議なスパイス」を見る。「黄金のアデーレ 名画の帰還」を見てすっかりお気に入りになってしまった、ヘレン・ミレンが出演しているからだ。むろん、彼女はタイトルになっているマダム・マロリーを演じるのだが、実は彼女はこの物語の主役ではなく、重要な脇役といったところ。インドで有名レストランを経営していた家族があれこれあって、南フランスの田舎にインド料理店をオープン。その家族の中の、稀有な舌を持つ次男が主役で、映画は彼のいうなればサクセスストーリーを軸にしている。笑いあり涙ありのよく出来たエンターティンメント。まあ、それ以上でも以下でもないのだが、これを単なるファンタジーと見るのは間違いだと、居丈高にネットで書いている御仁がおられて。現在とりわけ欧米では最大の難事となっている難民問題こそがテーマだというのだ。確かに、インド人は出ていけというイジメを受け、彼らのレストランに火を点けられたりするのだが。そこに<テーマ>など見つけたら、この映画の楽しさのほとんどは単なる添え物になってしまう。
この種の<分かりやすい解説>の氾濫、どうにかならんのか。同様に、最近TVを見ていてイライラするのが、例えば、前述の「駅伝」の勝利者インタヴューでも聞かれたが、「助けて頂いた皆さんに感謝」という言葉。皆が口を揃えて、言わなければいけないことのように言う。公の場で言わなきゃいけないのか、それは個人的に、そのひとに直接伝えればいいことではないのか。
本来は関係のないはずのものを強引にくっつけてしまう、これはシュルレアリスムの王道だが、しかし、例えば、「安倍公房の作品には彼が少年期を過ごした満州の風景が垣間見える」、といったような解説はいかにももっともらしいが、結局のところ、作品についてはなにも語っていない。今回のタイトルと同様、無意味なこじつけでしかない。確かに、先週の金曜、久しぶりに散髪に出かけたら、翌日の土曜に雪が降ったことに嘘偽りはないのだが。