「ちょっといい話」が嫌いなんですよ、わたしは。 OMS戯曲賞のパーティで …2017.03.19
金曜日。「OMS戯曲賞」の出版記念会に出かける。記憶が定かではないが、この会に出るのは第一回目の松田(正隆)くんの時以来ではないか。そもそもわたしは大勢のひとが集まる場が苦手なので、この種のパーティや、同窓会、お葬式などには滅多に顔を出さないできた。こういうわたしを、常識知らず、礼儀知らず、恩知らずと思われるむきもあろうが、しょうがない。多くのひとが集まる場所はわたしにとってストレスでしかなく、わたしがこれまでなんとか生き延びてこられたのは、ストレスを極力回避し遠ざけるようにしてきたからだ。この非礼の数々で失うものも多かったはずだが、しょうがない。
会場では久しぶりに見る顔が幾つもあった。会の主人公(?)である福谷とは二年ぶりらしい。彼の劇団に所属している石畑や東さんも久しぶり。もっとも懐かしい顔は、毎日放送のHさん。「お久しぶりです」と近づいてこられた時は、申し訳ないけれど誰だか分からず、分からないまま5分ばかり喋っているうちに、「あのひとでは?」と思い当たる顔がひとつ浮かび、それはわたしが「関西の原さん」と呼んでたひとだった。元・巨人監督の原辰徳と顔が似ていたからだが、ご当人は阪神ファンだからそれを嫌がり、それがまたわたしには楽しく面白く、執拗に「原さん原さん」と呼んでいたのだった。しかし、どうもお顔が違うようで …、いやしかし、そうか、昔はなかった口髭があるからだと気がついて。彼とは多分20数年ぶりのご対面だったのではなかろうか。お互いご無事でなによりだ。
例の如く、駅から5分で行けるはずの場所にたどり着くまで30分かかってしまい、開始時間ギリギリにたどり着くや否や、小堀さんから「福谷へのお祝いの言葉」を頼まれて。次のような話をした。
福谷はいまも記憶に残る優秀な学生で、今回の受賞は遅すぎるくらいだと思っているが、でも、わたしが近大に在籍していた間、彼のように優秀な戯曲の書き手は毎年ひとりふたりいて、一時期、わたしの<教え子>たちで、この国の戯曲賞をすべて制覇できるのではないかと思っていた。しかし、それが叶わなかったのは、みな大学を卒業すると同時に書くのをやめてしまったからで、(他にも何人かの戯曲賞受賞者はいるが)福谷の今回の受賞は、彼のみが劇団を作って戯曲の上演・発表の場を確保したからだ。だから、劇団員たちには感謝しなければいけない。しかし、この賞の関係者の方々には失礼ですが、OMS戯曲賞は、当初の数年と違って、いまは数あるローカルな戯曲賞のひとつに過ぎず、今回の受賞を手放しで喜んでいてはいけない。いまや関西の演劇状況は瀕死の状態だ。これをなんとかするには若い力しかない。だから、今回の福谷の受賞をきっかけに、彼のような20代の優れた書き手を次々と世に送り出す責任が関係者にはあり、福谷はこれから次々と傑作をものし、20代でOMS戯曲賞の選考委員になっても、誰からも文句が出ないような地位にまで一気に登りつめてほしい。
これでも、場の和やかな空気を冷やすには十分だったはずだが、本当は、賞の関係者に向けてはもう少し耳障りなことを話したかったのだが、さすがにいささかの自己規制が働いて。だって、今回の最終候補に残った作家9人のうち、福谷と佳作受賞の橋本氏以外の7人は、すべて過去のこの賞の受賞者(佳作を含む)で、まさにこれは、関西演劇界の閉塞ぶりを如実に物語る症例以外のなにものでもないでしょう。のんきに「なんかいい話」でまとめてる場合じゃないんですよ、ほんとに。