竹内銃一郎のキノG語録

弟と三人の鈴木さんのこと2017.03.25

今日は3月25日。15年前の2月に亡くなった弟の誕生日だ。わたしには、わたしとの出会いがその後の人生を狂わせてしまったのではないかと、思い出せば申し訳なさでいっぱいになる<お三人さま>がいて、弟はそのうちのひとりだ。むろん、弟が生まれた時にはすでに目の前にわたしがいたのだから、わたしとの出会いを拒否することなど出来なかったわけだが、その分余計に申し訳なさがつのるのである。生きていれば、遅ればせながら償いの真似事や、「お前も66か、お互い爺になったものだな」と軽口電話も出来たのに …

部屋中に溢れかえっていた本が、なんとか本箱・本棚に収まった。改めて本箱・本棚に並んだそれらを見ると、詩の関連書が多いのに驚く。とりわけ、鈴木志郎康氏の著書は17冊も! 久しぶりに数冊、手に取ってペラペラと頁を繰ると懐かしさが甦る。氏の詩は「檸檬」と「悲惨な戦争」と、覚えている限り、わたしの戯曲の中に二度引用させていただいているのだが、それ以上にというか、初期の作品の台詞の語調・リズムが、もうまさに「志郎康流」なのだ。以下に引用するのは、氏の初期の代表作のひとつと思われる、「グングングン! 純粋処女魂、グングンちゃん!」の冒頭部分。「/」は、改行の印である。

さあて / 満身筋肉持ち上げる / 巌石 / 千代に八千代にさざれても / 亀戸住民名前のない人ないのです / グングングン! / グングンちゃん!

お父ちゃん、亀戸亀吉 / お母ちゃん、亀戸亀代 / そして女店員父親情婦の亀戸兎子嬢 / けれども / この十三才娘処女には名前がないの / 名前は捨てるの / 決意の魂! / 純粋処女魂! / グングングン! / グングンちゃん!

わたしの若気の至り的初期作品を読まれて、いまもなおその断片が記憶に残っている方なら(いるか?)、わたしがいかに氏の影響下にあったかが、よくお分かりになるだろう。ウィキによれば、氏はいまもなおご健在で、昨年には詩集も刊行された由。嬉しい。因みに、いまでも時に目にすることがある「極私的」という言葉は、氏の造語である。

先日亡くなられた清順さんの映画にも大きな影響を受けていて、更に、わたしに演出家のなんたるかを教えてくれたのは、鈴木忠志さんの作品・著書だから、実に、<三人の鈴木さん>は、わたしにとって忘れてはいけない恩人なのである、ということをすっかり忘れてしまっていた。嗚呼!

弟との忘れがたい思い出は幾つもあるが、そのうちのひとつに、「ゴム草履を追いかけて」というのがある。あれは多分、わたしが小学3、4年生の夏。わたしたちは、草舟を作って用水に流し、どっちの舟が速いか競争をしていたのだが、多分、わたしが負けたのだろう、だったらこれで勝負だとわたしは履いていたゴム草履を用水に流す。速い速い、ゴム草履は弟の草舟に大差をつけてどんどん流れていく、わたしたちが用水沿いに全速力で走っても追いつけないほどにスピードを増して、そのうち、用水の川幅がどんどん広くなって、ゴム草履を拾い上げることが困難になるほど広くなって、これはマズイと慌てて、わたしたちはバシャバシャと用水に入って、流れていくゴム草履を追いかけて …。無事、拾い上げることが出来たのか出来なかったのかは覚えていない、ただ、裸足で家に帰るのか? それを見てひとはどう思うだろう? 足が痛いだろうな、傷口からばい菌が入ったらどうしよう? おふくろになんて怒られるだろう? 等々の底知れぬ不安はいまでもはっきり覚えていて、だからだろう、いまだに時々、履物が見当たらず、あっちかこっちかと延々探し続ける夢を見るのである。

 

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