竹内銃一郎のキノG語録

我輩はカモである。怒り鎮めの巻。2017.08.10

ほとんど日課になってしまった朝の鴨観察。いたいた。ここぞ絶好の鴨のねぐらと見ていた場所に、7羽。豪雨のあとそこに姿を見せなかったのでずっと心配していたのだが、どっこい生きていた。前にいた鴨の家族と同じなのかどうか、わたしには判別出来ないのだが。その巣がある正面橋付近から七条大橋の方へ歩いていくと、橋の下に数えて12羽。両方を合わせると19羽だから、ほぼ以前と同じ。よかったよかった。いや、彼らが以前の鴨と同じなのかどうかは分からないのだが。こんなことを書くと、ちょっとアタマがおかしいんじゃないかと思われるかもしれないが。わたしが川べりに降りると、今日も鴨たちが近づいて来た。「も」と書いたのはこれまでも何度かあったからだ。フツーに考えれば偶然、たまたまということになろうが、それにしては頻度が多い。だから可愛く思えて、だから、このところの日課になったということなのだが。

わたしに近づいて来た鴨を可愛いと思ったとき、それとは真逆の感情がふつふつと沸き上がってきた。昨日触れた、おたくら何様?的な、いまどき稀という点で言えばクロサギ的な、京都市内某所の無礼千万な対応は許しがたい、という怒りの感情である。そこを「いいのでは?」と思ったのは、すでに決定している大阪は難波にある千日亭とはまさに対照的だと思ったからだ。落語会に使われることが多く、従って客層でいえば年配者が目立つ千日亭と、静かな住宅街にあって、アート好みの若者が集まりそうな京都某所。なにを隠そう(別に隠すつもりもないが)、こういうひとも場所もわたしはあまり好きではない。あえて俗っぽい表現を使えば、「なに気取ってンだ」と思うのである。昔から詩を書くような、実際に書いていなくても書いてるような雰囲気を醸し出してるような女性はこちらからお断りで、この京都某所はそんな匂いを振りまいているような感じだった。おまけに、最寄駅からは徒歩5分くらいなのだが、その最寄り駅はわたしの住まいから電車賃が500円くらいかかる、市の中心部から少し外れたところにあり、往復千円もかけてひとはここまで来るだろうかとも思ったのだったが、前述したこと、即ち、千日亭とは好対照という唯一の魅力に負けて使用の可否を問い合わせてみたのだが。

その某所はメールでの問い合わせを基本としていて、ホームページに専用のフォーマットがあって、それに必要事項を書き込んで送り、すぐに確かに受け取ったという返信は届いたのだが、その先、つまり、利用の可否の返事が3日待っても届かない。返信には2日経っても返答がない場合はもう一度連絡くださいと書いてあったので、今度は、こちらの都合だがと断りを入れて、早く返事がほしいと書き添えたのだが、また2日経ってもナシのつぶて。前回書いたように、わたしは電話が苦手なのだが、これ以上はもう待てないので電話をすると、出た男の対応がまったくもって酷かったのだ。何度送信しても返事がないのでとわたしが言うと、まず、わたしが使ったフォーマットの違いを指摘し、こちらも忙しいしと言い、大体うちでなにをしたいのか分からないし、と言う。いや、それを書く欄がなかったからと答えると、だから、正式なフォーマットじゃないからですよ、とつっけんどんな返答。不思議なことに、こっちは名前も言ってないのに、わたしが3度送信した事実を知っていて、ということは、最初に送った時点で、フォーマットの違いを指摘してくれれば、話はもっと早く進んだのだ。なぜそれをしなかったのか? うちも忙しい? 申し込みがどれだけ来てるわけ? ホームPに載ってるカレンダーは空欄ばかりじゃないか。正しい方のフォーマットに書き込んで送信すればいいのかと聞けば、そうだという。それで送ると、翌日だったか、申し込みの当日はすでに予約で埋まっているという返事が。わたしが電話した時点でそれはもう分かっていたことじゃないのか? なんなんだ、いったい。おちょくっているのか、俺を。

公共ホールで働いていた某女性が、欧米帰りの制作は使えないという。どういうこと? と聞くと、仕事がさほど出来るわけじゃないのに、お茶くみはわたしの仕事じゃないなどといって断固拒否すると言うのだ。分かる。いるんだ、そういうの。口では小難しいことを言うのだが、それは明らかに誰かからの借り物で、むろんそのことに無自覚、彼らが好む映画や演劇・文学と言えば、アート風を装っているが、中身がスカスカの、面白くもおかしくもない、ド素人的なものと相場が決まっている。というより、その面白くもおかしくもないものを好きだという自分自身が好きなのだ。以前にも書いたか。去年、MODEの芝居を観たあとで一緒に飲んだ、某公共ホールで働く某女子などその典型だった。名前も忘れた彼女、いまも元気に空疎な言葉を吐き散らしているのだろうか。ま、ここまで書けばいいでしょ。

今回のタイトル「我輩はカモである」は、知っているひとは知っている、バカも休み休み言えと言いたくなるような、ほんとにクダラナイ喜劇の傑作、マルクス兄弟主演映画のタイトルである。

 

 

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