仏頂面で残念な顔 「マジカル・ガール」に触れる2017.09.22
この数か月、自分の書いたものばかり読んでいる。さすがに飽きた。今週末から、「夢ノ旅路」の稽古が始まるが、ホンに飽きた状態から出発するのは悪くない。客観的に眺められるからだ。というわけで。
久しぶりに四条のジュンク堂へ出かけて、「なんじゃ、こりゃぁ!」と思わず声が出そうになったのは、新書の新刊が並んだコーナーでのこと。多くの本の表紙に著者の顔が載っていて、そのまた多くが笑顔で写っているのだ。別に偉そうにしてろとは言わないが、なんだか客に媚びを売っているようで、嫌な感じ。その最たるものが、鷲田清一と精神科医のN。前者は一瞬、バイきんぐの小峠かと思ったくらいそっくりで、大口開けて笑ってる。なにがそんなに楽しいのか。氏に対する敬意が吹き飛んだ。でも、こちらにはまだ愛嬌がある、しかし後者には。Nには一度だけ会ったことがあり、その傲慢にして不遜な態度に、こいつバカかと思わせた御仁で、その後、TVによく出るようになって、いまはお金ざくざくだからか、大口開けての馬鹿笑い。やっぱり最低のヤツだった。いつものように(?)、本の値段だけ確認して、買うのはAmazonと決めていたのだが、雑誌「ユリイカ」の蓮見重彦特集号を買う。こちらも当然、「先生」のバスト・ショットが表紙に納まっているが、媚びを売る気配さえなく、今回のタイトルにあるようなご尊顔。中身よりなにより、それが気に入ったのだ。橋本治の新刊が3冊。お体、よくなったのか? ちょっと安心。もちろん、オサムちゃんはバカじゃないから、バカみたいに笑っていない。
笑うと言えば。何回か前に円生の「包丁」の素晴らしさについて触れたが、ひょんなことから、同じ演目を関西の高名な落語家がやっている映像を見る機会があり。「包丁」や「後家殺し」は円生の十八番のねただが、途中に浄瑠璃や小唄が入ることもあって、もう誰も演ることはなかろうと思っていたのだが。はたして、その関西の高名な落語家は、やっぱり歌の部分は適当に流していた。でもまだそれは許せる。(そういうお前は何様なんだ? いや、それはとりあえず脇に置いといて)以前にも書いたように、この話に登場するふたりの男は、自分の女房をそのスジに売り飛ばすことを屁とも思っていない(小)悪党である。少なくとも円生の落語ではそうだった。しかし、関西の某落語家は、彼らを気弱でひとのよさげな(小)市民にしつらえていたのだ。なぜ、そんな脚色をしたのかと言えば、客の笑いほしさがゆえだろう。なんと安易な! そんなセコイことしなくったって、円生の落語を聴けば分かるように、十分笑いは取れるのだ。でも、そんなセコイしつらえを客はゲラゲラ笑っていたからなあ。ひとは水と同じで、低い方に流れる。ああ、ため息が出ます。
もう千字を超えてる。今日はとりあえずこの辺で。え? 「マジカル・ガール」に触れるとタイトルでうたいながら全然触れてないじゃないかって? いやいや。「仏頂面で、残念な顔」と言われるおじさんが出るんですよ、この映画の主要な役で。