竹内銃一郎のキノG語録

今朝のG爺放談(砲弾?) 品性を欠いた知性なんて認めない。2017.10.10

昨日の稽古前。出演者のひとりである保から、「古希のお祝いです」と、小さなサボテンの鉢をプレゼントされた(Than You!)。わたしは明日で70になるのだが、古希という言葉は知っていても、恥ずかしながら、70を古希というのを知らなかった。ウィキで「古希」を検索したら次のようなことが。

還暦が数えで61才(満年齢で60才)なのに対し、古希は数えで70才(満年齢で69才)となります。すなわち還暦から古希までは9年しか空かない、ということになります。また古希は、その昔は「古稀」と書き、稀(まれ)という意味を含んでいましたが、現在は古希と記されることが多いようです。

この言葉がいつ生まれたのかも知らないが、その時代、70まで生きるのは稀だったのだ。ふう。60になった時はさほど感慨はなかったが、自分が70になるというのはちょっと、なんかある。

昨日の「よ~い、ドン」の「人間国宝さん」に、驚異の81歳が登場した。彼は町の自転車屋のおやじさんだが、60になった時、それまで泳げなかったのでスイミングスクールに通い、そこでトライアスロンという競技を知って興味を持ち、それからそれに参加すること70回! もちろん今でも現役で、今年の目標は、80歳以上枠の日本ランキング1位になって世界選手権に出場することだという。これだけ聞いてもホエーッと思うが、参加70回の中には、「スイム3.8km・バイク180km・ラン42.195km、合計約226km」の通称鉄人レースも多く含まれているというのだから、言葉を失う。100米で10秒を切った、体操で金メダルをとったなんてニュースで大騒ぎしているが、そんなの、彼に比べたらものの数ではないと思うが、どうでしょ? 大体、ジャンルを問わず、若い時に第一線で活躍してたひとが、高齢になってもトップレベルで活躍してるなんて話、ほとんど聞いたことないし。こんなひとの存在を知らされると、燃えちゃうなあ。と書きつつ、自分の話に持っていこうとしているのですが。

今回の連続公演の企画、別に70になるからどうのこうのなんて考えはさらさらなかったのだが、いざ稽古を始めてみると、なかなか芳しい結果が得られず、もしやこれが最後になるのかとひどく焦って、さらには凹んで。しかし、数日前にこうしたらどうかというちょっとしたアイデアが思い浮かび、昨日、ものは試しとやってみたら、想像していた以上の結果が。よおしっ! と再び闘志がよみがえる。「ちょっとしたアイデア」なんていっても、まあ、他でもやってることなんじゃないかと思うのですが。

今日は衆議院選挙の公示日であるらしい。先月の半ば過ぎから世間では選挙モードに入ってるようだが、なんのかの言ったって、どの党もどの候補者も、言うほど大きな差があるわけじゃない。

先日、カズオ・イシグロがノーベル文学賞受賞のニュースが報じられたとき、ふと思ったことがある。今度の選挙の候補者の何%が彼の存在を知っていただろうか、と。そんな考えが頭をよぎったのは、いずれの党の代表にも、いわゆる「知性」というものを感じられないからだ。いや、それ以前に(?)、維新の松井がいい例だが、人間としての品性というものが決定的に欠けている。日本の文学は日本語に守られているというのはいまや「常識」といっていいが、政治家はさらに、日本語というか、「日本人であること」に守られているのが現実だ。だって、日本国籍を持っていないと選挙権も被選挙権もないのだから。スポーツの世界では外人の選手や監督がいっぱいいて、それが全体のレベルを押し上げているわけでしょ。プロ野球の外人選手は、おしなべて知的なコメントを語る。見かけはチャランポランなヤクルトのヴァレンティンがその代表だ。大相撲の白鵬も同様。プロスポーツのように、人数制限をした上で外人政治家を認めたら、無能のクズみたいな政治家は激減するのではないか?

話かわって。先に、「燃えちゃう」だの「闘志がよみがえる」だの書いたが、それには別の理由もあって。ここへきてわたし、馬券が絶好調なのだ。昨日は、東京の最終レースで万馬券的中! ナツノヨノユメなんて16頭中13番人気馬が2着に食い込み。もちろん、馬名から買ったのではなく、調教時計もパドックの気配も上々だったからなのだ。こういうところに目をつけるのが知性のなせる技?(違うか)。

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