結構な高みへ 「花ノ紋」解題にとりかかる前に2017.11.08
わたしの奥さんは、少し、いや、かなり変わったところのあるひとだが、映画や芝居等の好みに限って言えば、恥ずかしすぎるくらいフツーの婆さんである。フツーとは? お話として面白いかどうかを、作品評価の唯一にして最大の判断基準としているところである。先月上演した「夢ノ旅路」についても、面白かったけどよく分からなかったというので、なにが、どういうところが分からなかったのかと聞くと、だって、戯曲の一部しか上演しないから話がよく分からないもん、というのである。面白いと思ったのだからそれでいいのではないのか、と言うと、話が分からないのはダメだ、と意見を変えない。
俺にとって物語は単なる<容れもの>で、お菓子等の箱以上でも以下でもない。上等な拵えであるのにこしたことはないが、しかし食べてもらいのは箱の中のお菓子なんだから。と言っても、のれんに腕押し。まったく頑固なクソ婆だ。と、思いつつ。まあ、わたしの芝居を見に来られる方々の多くは、「フツーのひと」から外れた方ではないかと思っているが、しかし、フツーのひとにも食べていただいて、美味しかったと言ってもらいたく。というわけで、これから4回に分けて、「花ノ紋」でピックアップした4本の戯曲について、ストーリーの紹介を中心に、あれやこれやと書き綴ることに決めた次第である。「うん? 待てよ。フツーのひとがわたしのこのブログなんか読むか?」という実直な心の声は聞かないことにして。と、書きつつ、各戯曲の解題にとりかかる前に、しつこいようだが以下のことを確認させていただこう。
何回か前にも触れたが、今回の連続上演は一応、「リーディング」と呼ばれるもののカテゴリーに入るものであろうが、多くの人がイメージしておられるであろうそれ、例えば、特定の戯曲・劇作家の存在を広く知らしめたいとか、芝居の上演に先立って、宣伝を目的とした、「作品の前段階状態」を見せる、等々とは、かなり異なったものであることを、再度明らかにさせていただきたい。それは、上記したように、ぶつ切りにした複数の戯曲をつなげて作られたテキストを使用することでも明らかであろう。むろん、あちこちでチラシ・ポスターをよく見かける「朗読の会」とは対極にあるものだ。ま、朗読の会というものの実際はまったく知らないのだが、少なくとも、NHKTVで目下放映中のドラマ「この声をきみに」(一回だけ見た)の朗読の会のように、「市民の心の癒し」を目的とするものでは、まったくない。「竹内集成」上演が目指しているところのものは、劇・表現の新たな可能性、あるいは、洗い直しであって、結構な高みにあるのです、偉そうですが。