師の教え 「少年巨人」に触れる。 「耳ノ鍵」解題②2018.01.22
「少年巨人」は、わたしの処女作ということになっているが、これを書く前にも何本か戯曲を書いている。小学4年生の時に書いた「田村くんのホームラン」というのが、わたしの本当の処女戯曲である。この年には他に、「ねこ島」「鼠の嫁入り」「ごんぎつね」と、計4本も書いていて。売れっ子だった。なぜこういうことになったかというと、担任の杉浦先生が、この年から始まった「道徳」の授業を放棄し、その時間はみんなで芝居を作ろうと提案したからだ。それだけでは時間が足りず、国語の授業も稽古にあてたのではなかったか。こんなこと、いまだったら許されないでしょ。いやあ、まったく良き時代でありましたなあ。それから、高校の予餞会でも「西郷どん」を書き、と。まあ、これらはみな素人芝居だから勘定から外れるとしても、「少年巨人」上演の3年前に、友人の小澤さんが主宰していた劇団アステールに「闇めくりケンタウル祭」という、かなりダサいタイトルの本を書いているのだ。それからその翌年だか翌々年だかにも、こちらは小澤さんの友人の牧さんが主宰していた劇団「鼓家」のために「月光革命」という本も。前者は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」や「よだかの星」をベースに書いたはずだが、本は手元になくて確認のしようがなく、後者は本もなければ内容もまったく記憶にない。
「少年巨人」は、先の「闇めくり ~」に出演していた沢田情児から、知り合いの不動産屋が、四谷の駅前に空き地を持っててタダで貸してくれるというから、ふたりで劇団作ってそこで芝居しようと誘われ、一気に書き上げたものだ。以前にも書いたような気もするが。空き地の真ん中に一軒家が建ってるというので、その家の室内を舞台にし、観客は基本的に窓の外から覗いて観るのを前提にして。しかし、いつの間にか四谷の空き地の話は消えてなくなり。かと言って、野外でという前提は変更したくはなく。ぴあ(情報誌)かなにかで見たのか、茗荷谷駅前にある林泉寺というお寺で芝居をやっていると知り、そこを訪ねてみると、住職が人間座という劇団の主宰者(江田さん)であることが分かり、わたしたちに好意をもってくれ、お寺の境内でやれることに。更に、雨が降って公演がオジャンになったら大変だからと、その翌週は阿佐ヶ谷にあったアルス・ヌーヴォでもやることにしたのだった。
話は戻って。先の本当の処女作「闇めくり~」を、師・大和屋さんが見に来てくれて。見終わったその日だったと記憶しているが、「まあ、面白かったよ。でも、竹内くんって感じがしない、どっか唐(十郎)みたいで。きみはいまなににいちばん関心があるの? いつも現在の自分の関心の対象について書くようにしないと、作家として早晩駄目になるよ」とまあ、こんなことを言われたのだった。情児から台本の依頼があった時、まず頭に浮かんだのはあの時の大和屋さんの言葉。自問自答の末、出てきた回答が、読んだばかりだったA・ジャリの小説「超男性」であり、チャンバラトリオであり、そして、引退の時は割れんばかりの歓声と拍手で送られたのに、監督になって敗戦を重ねると一転、罵声の限りをぶつけられた長嶋茂雄。この三題噺でなにか書けないかと考えて …