竹内銃一郎のキノG語録

「少年巨人」と「聖少女」  「耳ノ鍵」解題③2018.01.24

確かに、新・ミスターが最後に爆発するのは「超男性」に倣ったものだし、千本ノックと称して旧ミスターが息子の新・ミスターをバットで殴り続けるのは、張り扇で殴りあっていたチャンバラトリオへのオマージュを含んだパロディだし、父と息子が名乗る「ミスター」とは、即ち、長嶋茂雄の敬称である。だから、三つのお題を駆使してはいる。しかし、なぜ、近親相姦というテーマがここで浮上したのか。前回書いたことは、このブログも含め、これまであちこちで書いたり話したりしたことだが、ここからは新ネタだ。というか、ずっと忘れていたのだ、わたしは倉橋由美子という作家に大きな影響を受けていたことを。

氏の「聖少女」を読んだのは、おそらく大学に入って間もない頃、タイトルに惹かれて買ったのだ。本棚から「倉橋由美子全作品5」を取り出し、何十年ぶりかに「聖少女」を少しだけ読んでみる。最初の頁にこんなくだりが。

未紀に多くのことばを貼りつけて読者のまえにつれだそうとする小説家に呪いあれ、だ。ぼくならむしろ未紀を透明にして読者のまえからかきけすためにことばを使いたい。

などと引用してみたものの、「未紀」という名前さえまったく記憶がない。しかし、対象(=未紀)に対する距離の取り方と視線の角度に、まだ10代だった若いわたしは、「おお」と心の中で感嘆の声をあげたのに違いなく、その時の感嘆がいまもなお尾を引き、わたしの基本スタイルとして定着しているのだ。「聖少女」の物語の内容はどんなものだったのか。

曖昧な記憶のままに書くが。「ぼく」が偶然出会った二十歳前後の若い女性(=未紀)には、「パパ」と呼ぶ年長の愛人がいて、そのパパが病気で生死をさまよっている状態。そんな事柄を書いた未紀の日記をぼくが読む。あれこれあって、パパは亡くなり、それを知った未紀は自分も死のうと思い、そんな自分の覚悟をぼくに電話で伝える、と同時に、「パパ」とは、血のつながった本当のパパであることも。

作家としてのスタイルもさることながら、話の内容も衝撃的だったことは言うまでもない。タブーとされている領域に果敢に踏み込んでいく姿勢がである。さらには、未紀が日記に書きつけた事柄が、どこまで本当なのかが判然としないままエンドマークが打たれるところも。倉橋の小説からは常に、巧妙なストーリーテリングに乗れば乗るほど、これはフィクションですからという「異化の声」が聞こえるのだ。「少年巨人」は、母=ナボナと性的な関係を持ったという息子の告白を、父は認めず、「さっきの告白は冗談でした」と聞くまで、バットで息子を殴り続けるという話であるが、最後の最後に登場するナボナは、母親らしさのみじんもない、イメージ的には快活な女子中高生である。事実関係が宙ぶらりんのままに終わるところも、「聖少女」的と言えようか。

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