竹内銃一郎のキノG語録

包み隠さない「東京大仏~」 「耳ノ鍵」解題⑥2018.01.31

前回のものを読み返して、思わぬ符合にアララと驚く。三鬼の句である。茸と書いて「たけ」と読む? なんだよ、タケウチとキノGってやっぱ関係あったんだ、と。(こんな話、誰が興味あんねん⁉)

S4も電話をかけている耕作から始まる。相手は例の清宮さん。やっとつながったのだ。その内容は、結婚式間近の游子が、昔の恋人と会ってるのを見かけたが、大丈夫? というお節介きわまりないもの。お土産を買いに行っていた游子が帰ってくる。父は娘に聞く。別れたはずの服部(耕作の会社の部下)とまだ付き合ってるのか、と。もう付き合ってなんかいない、市電の中で偶然会って、一緒に喫茶店でお茶を飲んだだけだ、と娘。両者ともにそれ以上に踏み込めない時間が幾分か流れたあと、娘はS3で語った前言をひるがえして父の結婚を認めると言い、でも、自分は結婚しないで父とずっと一緒にいたいと言い出す。「井上くんのどこが不満なんだ」「そうではなくて …、お腹に服部さんの …」という父を呆然とさせる娘の返答。このシリアスきわまるふたりのやりとりを嘲笑うように、どこからか歌が聴こえる。それは、鼻の間の男が歌う「花 ~すべての人の心に花を~」。父は苛立って、旅館の地下にあるらしいカラオケスナックに抗議に出かける。

初演時、この「花」を熱唱したのは、なにを隠そうこのわたし。父を演じたのは佐野さんで、この芝居がJIS企画設立(?)のきっかけとなった。娘を演じたのは、四十台半ばの若さで亡くなってしまった中川(安奈)さん。ああ。彼女のことは、思い出すと胸が詰まるからこれ以上なにも書かない。

S5)鼻の間のおやじと喧嘩して軽傷を負った耕作と、父の傷の手当てをしている游子。游子の、耕作に一度だけ殴られたことがあるという話から、父・母・子と三人で最後に行った海水浴の思い出へ、そして、父と自分と半年後に生まれてくるはずの子どもと、「親子三人水入らずの生活、駄目なのかな」と游子は呟き、耕作は、「いつか、ここでこんな話をしたことが、笑い話になるといいんんだがねえ」と「晩春」から借用した台詞を言って、ふたりは床につく。と、どこからか静かな波の音が聴こえる。それは耳の中にたまっているリンパ液の音。游子は、大仏様の耳の奥にもきっと海があるのねと言い、さらに言葉を重ねあううち、潜在的にあったであろうふたりの性的感情が露になって …

「晩春」では、この床についてからのふたりの台詞は、まことに味気ないと言うか、父親の教訓めいた言葉がやりとりの大半を占める。しかし、そのタテマエに終始する言葉が逆に、両者が抱える<危ない>性的感情=ホンネを鮮やかにあぶりだすのだ。それは分かっている。しかし、下賤の者であるわたしにそんな慎みはなく、行けるところまで行きましょうと、ふたりをイケナイ一線の向こうへ導いてしまう。

S6)「晩春」のラスト。娘の結婚式を無事終え、家に帰った父は、改めてひとりになったことを悟り、覚束ない手つきで林檎の皮を剥くシーンで終わる、安心と孤独がないまぜになった、一種の<絶望的なハッピーエンド>だが、こちらもそう言えば言えそうな終わり方。昨日の夜の出来事を打ち消すような、さわやかな朝の光の中でのふたりの屈託の欠片もないやりとり。聞き流していただきたくないのは、耕作の「今日も暑くなりそうだね」に続く游子の台詞。「でも、風が強いから。きっと海は荒れてるわ」。心中の決意を語っているのだ。まるで歳の離れた恋人同士のように部屋をあとにしようとして、游子が立ち止まる。昨夜、父が腹立たしさのあまり、部屋の壁にぶつけて壊してしまった大仏がないことに気づいて。「どこへ行ったんだろう?」「消えたんだよ」「消えたのか」「わたし達よりも先にね」。ふたりが去ったあと、部屋の障子に、大仏のものであろうか、巨大な耳の影が映り、そして、これも大仏のものであろう、高らかな笑い声が響き渡って …おしまい。

 

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