絶望的なハッピーエンド 「耳ノ鍵」解題⑨2018.02.12
「マダラ姫」の終わり方に納得される方は決して多くはあるまい。終盤にきて、登場人物が次々といなくなる。あさひに睡眠薬を飲まされた刑事・米良は、バスルームに入れられたまま二度と登場することはなく、さきは、正午に会いたければとあさひの誘いにのって書斎に入ったら、しばらく音信が途絶え、書斎から出てきたあさひも、リヴィング にいた彼女の婚約者・吉村に、「やっと出来た」と完成した戯曲を渡して二階の寝室に消える。つまり、あさひは正午に成り代わっている、正午は消えた、ということだ。以下はエピローグ。
吉村に石豆腐で頭を殴られて気絶していたた演出家の心・平が意識を取り戻すと、完成原稿を残したまま吉村も姿を消している。バスルームからさきが現れる。完成台本を読み終えた心・平が「腹が減った」と台所に消えると、さきはもう一度、書斎のドアを開けて中に入っていく。台所から食事の支度をして戻ってきた心・平が、さきの名を呼んでも返事はなく、書斎のドアは押しても引いても開かない。と、その時、玄関のチャイムが鳴って、心・平は玄関へ。
と、部屋の隅に山積みになっていた本が一冊二冊と滑り落ち、そして、カーテン越しに満月が浮かび、それに少し遅れて、手をつないで満月を見上げる、(正午とあさひを思わせる)少年と少女の後姿が浮かび上がる。
本の山がドドーと音を立てて崩れる。正面奥から風が吹き込んできて、カーテンはめくれ上がり、まばゆいばかりの光が差し込み、テーブルの上にあった原稿も吹き飛び、空中を舞う。
心・平 (戻って来て)なんじゃ、こりゃ!
いつの間にか少年と少女の姿はかき消え、正面奥には、宅急便の箱を持ったあさひが立っている。背後に煌々と輝く満月。
あさひ 心・平さんに宅急便。天地無用のお届けものよ。
心・平 絹ごしの月だ。 ー幕ー
「なんじゃ、こりゃ!」とは、読者・観客の言葉でもあろう。ついでに、「少年巨人」のラストシーンにも触れておこう。「少年巨人」は「マダラ姫」と違い、話自体は実にシンプルだ。ミスターを自称する父親が、同じくミスターを名乗る息子を柱に括りつけ、千本ノックと称してバットで殴り続ける。なぜそんなことを? 息子が母親(ナボナ)と密通したと言いはって、その言を翻さないからだ。「ミスター」という敬称をめぐる父・子の争奪戦というわけだ。そして終幕。最後の千本目のノックを打ち終えると、父は、長嶋茂雄が引退セレモニーで語った言葉を呟いて倒れ、息子は「胸やけとは何か」と問い、続けて次のような言葉を吐く。
胸やけとは 胃内の酸がふえてみぞおちあたりの食道内に 焼けるような熱さと にぶい痛みを感じること …(苦し気に)わたしは彼女を熱愛している (なお苦し気に)わたしは彼女を熱愛している!
言い終わるや否や、息子の体は炎を噴き上げ、そして爆発する。と、ここで初めてナボナが登場し、「まあ、なんてきれいな夕焼けだこと!」と感嘆の声を上げ、食事どきになっても食卓に現れない家族たちに、可愛く切ない悪態をつき …。と、唐突に読売巨人軍の応援歌「闘魂こめて」が流れ、その曲をバックに現れた審判が「ゲーム!」と叫ぶと、倒れていた父、爆発した長男、途中から父に代わって兄を殴っていて倒れた弟、みな立ち上がり、流れる汗を拭って、晴れやかに「アヤッタ(=ありがとうございました)!」と声を揃えて … ー幕ー
両作ともに、ドラマチックと言えそうな終わり方で、父・娘がにこやかなやりとりとともに旅館の一室をあとにする、「東京大仏心中」のそれとは大きな違いがあるかに見えるが、いずれも「絶望的なハッピーエンド」であることに変わりない。「モナ美」の場合も同様である。因みに、「絶望的な~」とは、映画監督F・トリュフォーが語った言葉で、彼はそんな幕の降ろし方がお好みなのだ、むろん、わたしも。