竹内銃一郎のキノG語録

「耳ノ鍵」、明日3月2日が初日です。2018.03.01

以下は、明日から始まる「耳ノ鍵」公演で、来場されたお客に配布するパンフ掲載の一文です。

ご挨拶
いや、もう! 数年前から時々、思い出したようにやっているツイッターで、先ごろ亡くなった大杉漣氏のことをちょこっとツイートしたら、恐ろしいほどの反響があり。わたしはガラ系人なので、PCでそれをやっているのですが、原稿を書いてる間にも、「ツイート」「リツイート」「フォロー」が入ったと知らせる合図が、絶えることなくピコピコと鳴り、まったく仕事にならないんだと稽古場でこぼしたら、だったらその音を切ればいいのでは? と教えられ …。そんなおバカなわたしがなんてツイートしたかと言えば。マスコミの連中は、彼が所属していた転形劇場が、日本の演劇史から外すことが出来ないほど著名な劇団であったことを知らないから、彼のその頃を「下積み時代」と称してはばからないのだろう。恥じ入りなさい、自らの無知を。と。
転形劇場と言えば、「沈黙劇」。こういう単純なレッテル貼りにもわたしは違和感を持つのですが(わたしに関するものでは、暴力的な不条理劇、とか。違いマス!)、それはともかく。去年の10月から始めたこの企画、考えてみれば、「沈黙劇」のまさに対極にあるもので。向こうは黙ってゆっくり動く、こっちは喋って喋ってちょこっと動くだけ。でも、向こうも時々、言葉ではないが、呻きとも感嘆ともつかない声を洩らし、こっちも時々、飛んだり跳ねたり、今回は突然の踊り(?)も入ります。どちらにしても、お客さまに視覚・聴覚をはじめとする、諸感覚のフル回転を要請することに、何ら変りはありません。
本日はご来場、まことにありがとうございました。

めっきりあったかくなって、このところ毎日のように午前中2時間ほど、足の向くまま気の向くままにウォーキングしている。現在の住まいに移り住んでちょうど一年、ようやくお散歩コースを確立。一昨日は、鴨川沿いに北へ出町柳まで。昨日は西へ東本願寺、西本願寺を通って、かっての花街・島原まで。今日は東福寺、伏見稲荷を超えて、丹波橋まで。家から往復、それぞれ距離にして10キロほどか。もちろん、健康のためでもあるのだが、しかし、それだけの理由ではこんなこと、毎日やってられない。道中あちこちの風景を見ながら歩く楽しさが味わえるから、続けられるのだ。いやあ、昨日今日と前述のように、PCを開ければツイートへの返信(?)があって、わけも分からずせかされているようで落ち着けず、だからこんなときの散歩は、ホント、安らぎの時間になるのだ。

それにしても。ひとに何度聞いてもツイッターの仕組みがよく分からない。なんで見ず知らずのひとから、ツイートしましたなんて連絡が次から次とあるの? わたし個人に対してはさほどの興味もないわけでしょ。だって、若い知人の尾松の新刊「チェルノブイリという経験」(岩波書店 刊)のことをツイートしても、ほとんど反響がないんですから。そんなに大杉漣氏の急逝に、みなさん、関心があるんですか? なぜ? まあ、世の中いろんなひとがいるもんだと、改めて知らされたわけですが。ほとんどわたしに異をとなえるものはないのですが、「昔の小劇場のことや、日本の演劇史なんて、誰も知らねえよ」みたいな反論を送ってくるひともいて。わたし、そんなこと書いてます? そこらへんのフツーのお兄さんお姉さんが、日本演劇史の「エの字」も知らなくったっていいんですよ。だけど、TVのワイドショーなどで、偉そうに大杉漣氏のことを語るのなら、それなりのことを事前に調べておけと、わたしは言っているのです、ネットで調べりゃ転形劇場の評価がどれほどのものだったのかくらい、すぐに分かるわけでしょ。レレレ! と驚くほどに劣化しているマスコミとその周辺がウザイと、わたしが言いたかったのはそういうことで。

皆様のお越し、お待ちしています。松本くんの怪演など、滅多にみられるもんじゃないんですから。

 

 

一覧