竹内銃一郎のキノG語録

まずは「栄養映画館」の成り立ちから  「タニマラ」メモ①2018.03.18

「解題」という言葉はなんとなく大仰な感じがしてきて、今回からは「メモ」と変えました。気楽に参りましょう。「タニマラ」で上演する4本の戯曲を、書かれた年代の古い順にナンダカンダと書いていきます。まずは、1983年に桃の会で上演された「今は昔、栄養映画館」から。

「桃の会」は、故・村井健の声かけから始まった。メンバーは、制作担当の村井、彼とは大学時代から付き合いがあった俳優の小田(豊)さん、小田さんとは早稲田小劇場、旧真空艦で一緒だった豊川潤、それにわたしの4人。小田さんが旧真空艦を退団し、俳優としての場を失ったのを見かねて、わたしたちに声をかけたのだ、多分。当時の村井は而立書房の編集者で、わたしの戯曲の大半は彼の手によって世間に送り出されている。「Z」と「月ノ光」を出してもらった三一書房も、村井の紹介だった。俳優ふたりとは、1978年に斜光社の「SF大畳談」を前述の真空艦アトリエで上演した際に、一応知り合いにはなったが、早稲・小時代の彼らの芝居にわたしは畏怖に近いものを感じていたので、一緒にやらないかという話にわたしはヤッホー! と思う一方、わたしでいいの? と村井に問いただし、さらに、わたしが書いたものをやってもらうのは畏れ多いから既成の戯曲の上演を考えるべきでは? と伝えたのだった。

あれは誰が言い出したのか。すま(けい)さんが昔(60年代の終わりころ?)、イヨネスコの「椅子」を翻案・上演していて、ふたり芝居ならあれがいいのでは、という話になり、すまさんに(わたし以外の誰かが)その旨を連絡したら、「台本のテイをなしていないいい加減なものなので、竹内さんがお書きになった方が …」というご返事をいただいて。それで結局、「椅子」をもとにして書き上げたのが「今は昔、~」である。

ご承知の方はご承知のように、「椅子」は老夫婦の話で、夫が講演会を企画し、そこへ想像だにしなかったほど多くの客が押し寄せる。しかし、舞台上には客はひとりも現れず、ただ椅子がどんどん増えていく、と。はっきり書いてしまうが、ワタクシ的にはそれほど面白い戯曲とは思えず、ただ、椅子がどんどん増えていって部屋を埋め尽くしてしまうというアイデアだけは気に入って、そこにピントをあて、原作が椅子を増やしていくのなら、わたしは逆に、すでにいっぱいある椅子をどんどん減らしてやろう、と考えて …

この初演から10数年後に、木場(勝己)の企画で、すまさんと彼とでこの戯曲を上演、わたしが演出を担当することになるのだから、まことに人生は面白い。

 

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