竹内銃一郎のキノG語録

逢いたさ見たさに「かごの鳥」  「タニマラ」メモ④2018.03.27

センバツ高校野球が始まった。今日は東邦高校の試合あり。わたしの出身県の高校で、なおかつ、4番を打つプロも注目の石川選手がわたしと同じ半田市出身というので、大きな期待を持ってTV観戦に臨んだのだが、花巻東の投手の遅いボールに翻弄されて、点差は2点だが実質完敗。ガッカリ。いや、これでよかったのだ。「タニマラ」の初日までもう一か月を切っている。高校野球になんぞ付き合ってる暇はないのだ。今週土曜から稽古が始まる。独演会の稽古にも本腰を入れて精を出さねば。

というわけで(?)、今回取り上げるのは「かごの鳥」。初演は1987年の1月だから、今から31年前。上演した劇場、シードホールからお声がかかり、具体的にどういう<お声>だったのかは忘れてしまったが、当時わたしが主宰していた秘法零番館にいた森永ひとみと、ブリキの自発団にいた片桐はいりのふたり芝居はどうでしょう、というのは多分、わたしの発案だろう。若い女性のふたり芝居ということで、当時の秘法の文芸部(?)にいた別所(文)さんに、「かごの鳥」というタイトルでひとつと台本を依頼し、それにわたしが手を入れて上演台本にした。シードホールは、西武・PARCO系列のファッションビルの最上階にあったキャパ100~150の劇場だが、いまはもうない、多分ビル自体も。「鳩ぽっぽ商会」というのはこの公演のために作った、これっきりの団体名(?)である。

作品については、データ化を進めていた関係で、本ブログ・2016年の11/16、23、24、12/2で触れている。因みに、「無意味と計算」というタイトルで書かれた12/2分では、次のようなことを書いている。

「かごの鳥」が、戯曲(劇の台本)なのに漫才・コント調になっているのは、わたしの性癖(?)のなせる業とも言えようが、やっぱり若さゆえの産物だろう。書き直すことでその<若さ>を失いたくない。この作品において、それは重要な生命線だと思うからだ。原本よりも更に無意味の過剰を目指すこと。

確かに、ひとみもはいりも当時はまだ20代半ばだったはずだから若かったのだが、そう書くわたしはちょうど40歳、もう結構なおじさんだったのだ。う~ん、なかなか70という自らの年齢に自覚的になれない …。

今回の「タニマラ」で上演するのは、劇冒頭の15分ほど。幼馴染のふたりが女学校以来の再会を果たしたところを、何者かに拉致され地下室のようなところに監禁される。なんとかそこから脱出せんと、愛称ペン(筆子)が持っていた鳥籠の中のカナリアの脚に、愛称はっぱ(葉子)の兄宛ての「助けて」と書いた手紙を結び、窓から飛びだたせる。そして、その返答を待つ間、ふたりは買い物ごっこをしたり、宴会を開いて歌ったり踊ったりと、劇中もっとも楽しい場面である。もちろん、それらは仮想の真似事だ。その子供じみたお遊びの最後、ふたりはありもしない自転車に乗って、「世界の果てまでレッツ・ゴー」などと言いながら地下室を駆け回っているうちに、転んで壁に体当たりしてしまい、すると、ぽっかり穴が空いて、さあ、ここから抜け出そうとすると、突然銃声が聞こえ、そして、ふたりを拉致・監禁した(らしい)男の声が聞こえ、さっきの銃声はカナリアを撃ち落としたものだと分かって …

 

 

 

 

 

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