竹内銃一郎のキノG語録

あれは吉兆? それとも …?2018.07.10

久しぶりにメガネをかける。多分、近大を退職して以来だから4年ぶりだ。初めてメガネをかけたのは、中学3年になった時で、その少し前から黒板の字が見えにくくなっていて、高校受験を控え、これではいかんと親に言って、メガネを買ってもらったのだ。いま思い出した。父とふたりで、隣町にあった、父の戦友がやっていたメガネ屋に行ったのだ。今の今まで父とふたりでどこかへ行ったのは、結婚することが決まった時、わたしの実家から、電車に乗って、いまの奥さんの実家まで挨拶に出かけた時だけだと思っていた。まあ、とりあえずそんな話は脇に置き。メガネをかけるのは授業の時だけで、高校に入ったら映画館で映画を見る時にもかけるようになり、大学に入って以降も、受講時と映画・芝居を見る時以外にメガネをかけることはなかった。メガネがないと、少し離れたものの判別はつけにくかったが、なぜ普段はメガネをかけなかったのかといえば、それで日常生活に困難をきたすほどことはなかったし、とにかくフレームで視界を制限されている感が鬱陶しかったからだ。そうだ、もうひとつメガネの思い出が。芝居の演出の時も当初はメガネなしでやっていたが、本番が間近に迫った通し稽古の時、初めてメガネをかけて見たら、役者陣の形相が凄いのなんの。それに驚き笑い感動し …

多くの時間をメガネとともに費やすようになったのは、大学に勤務することになってからだ。学生・教員・事務系のひとたちと、それほど親密ではないが挨拶だけは欠かせない、という<関係者>が一気に増えたからだ。大学を辞めたらそういう方々はいなくなったので、メガネはやめた、と。それで驚くべきことが起こった。先にも書いたように、映画や芝居を見る時は欠かさずかけていたのに、66歳にしてメガネをかけなくても、洋画の字幕などハッキリ読めるようになっていたのだ。なぜそんな奇蹟(?)が起きたのか分からない。とりあえず、老齢がもたらす遠視ともともとの近視が互いを補って、つまりプラスマイナスが零になってメガネが不要になったのだ、と思っているのだが。

さて、ここからが本論である。昨日(正確には今日)の夜の12時を少しまわった頃だ。タバコを吸いにベランダに出て、一本吸い終わったらもう一本吸いたくなって、二本目のタバコに火をつけて空を見ると、遠くでチラチラと光っているものがある。最初は飛行機かと思ったが、それにしては移動が遅く赤いチカチカもなく、星かと思ったが、それにしては光り方が派手だし、他には星などどこにもないのである。人工衛星の移動はもっと速いのではないか、UFOならばもっと変則的な動きを見せるのではないか。アレがなんなのかちゃんと確認したいと思い、それで4年ぶりにメガネをかけて見たのだが、その像はかける前となにも変わらず。老眼だが遠くのものは見える奥さんを叩き起こして見てもらうと、「金星でしょ、あんなに光るのは」「金星は宵の明星・明けの明星と言って、こんな時間には光ってないんじゃないか?」「あ、そうか。それじゃ分からん」と言ってまた寝てしまい。なんてヤツだ、すぐそこまでよからぬことが迫っているかも知れぬというのに …。最初に発見して20分くらいが経過すると、多分、雲に隠されてしまったのだと思われるが、まったく見えなくなってしまった。しかし。

なんだったんだろう? あれは。星の光り方とは明らかに違っていた。もっとも最近はほとんどじっくり見たことはないのだが、わたしの記憶に残る星は、もう少しささやかに控えめに光るものなのだが、昨日見たアレは、安物の金のペンダントのような、いや、金紙製のぼんぼんのような、「せっかくだから光りたいだけ光らせてもらいますゥ」とでもいいたげな、神秘性や深遠さのかけらもないものだった。でも逆にそれが可愛くて …。うん? わたしの内部の浅はかさの反映? いやいや。これからなにかいいことがアリマッセという知らせか、あるいは、ここしばらくの天地による許しがたい波状攻撃終了の合図か? いずれにせよ、吉兆の星であったことを願おう。

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