竹内銃一郎のキノG語録

でかしたゾ、霜降り明星M1優勝!2018.12.03

もう12月。うん? イノシシが砂煙をあげてこちらに …。来年までもうひと突き、いや、ひと月か。

昨日のM1で霜降り明星が優勝。去年このブログで彼らには二度触れている。一度目は、若手芸人の大会(タイトル失念)での突出ぶりから、今年のM1優勝もありと書き、二度目は、M1出場ならずに終わった、年の暮れのTVで見せたネタに、「今年いちばんの刺激」と書いたのだが、まさか一年遅れで優勝するとは。今年の出場者の顔触れはかなり強力で、かまいたち、ジャルジャル、スーパーマラドーナ、和牛、この4組の壁を超えるのは至難の業と思っていた。とりわけ、誰が見ても最上位と思われた去年、どういう裏事情があったのか、とろサーモンに優勝を持って行かれた和牛の牙城を崩すのは難しかろうと。それが …。

以前にも書いたが、霜降り明星は、両者の小丸・大細の対照的なルックス、熱く弾けるボケのせいやと冷静至極のツッコミ粗品と、これ以上考えられない最高の漫才コンビで、それがうまく噛み合った時には爆笑間違いなしとなるのだが、これがうまく噛み合わないととんでもない失速感に襲われて。出来不出来の差が大きすぎるのだ。出来を上級に保つためには、バラツキのあるせいやの動きを安定させる必要があると思っていた。それが昨日は見事に嵌って、まさに笑いの波状攻撃、観客の笑いがアドレナリンの過剰噴出を促し、それがせいやのエネルギッシュな動きを生み、粗品の絶妙なツッコミを可能にしたのだ。

見るたびに空回りを繰り返していた彼らをなんとかしたいと、時々、直接会って話が出来ないかなどと、不可能だと知りつつ、余計なお世話を考えてもいた。修正点は明らかだ。せいやは、笑いをとろうとするあまり、時として動きのリズム(感)を失う。今回のジャルジャルの一本目のネタ「国名分け」がいい例で、あんなもの、書かれたものを読んだところでなにひとつ面白くない。でも、彼らが演じたように、動きと言葉に心地よいリズム(感)が伴うと、笑いが止まらなくなるのだ。だから、動くときの「始めの一歩」のタイミングをきっちり決めて、さらに、どれくらいの歩幅でどんなリズムを刻むのか、途中でそのリズムを崩すような<事故>を起こすとしたら、それはどのタイミングで …等々、考えなければならないことは山ほどあり、考えたことを可能にするには多大な時間をかけての稽古が必要なのだ。漫才のひとたちの稽古って、もしかして、台詞合わせに終始しているのでは? そうだとしたら間違ってる。とりわけ霜降り明星みたいに動く漫才は。それと。粗品のツッコミは、使う言葉、タイミング、声質、どれをとっても秀逸と言っていいが、音量が。最初の音を強く出し過ぎるためだろう、最後の音が耳に届かないことが多いのだ。観客=ひとは、どうしても視覚からの情報を優先するし、おまけにせいやの動きが派手だから、最後の締めの音を強めに出さないと、せっかくのツッコミが不発弾になってしまうのだ。

去年、彼らに向けてツイッターで、「東京に行くな」という谷川雁の詩のタイトルを送ったが(まあ、届いていようはずもありませんが)、その真意は、TVのバラエティー番組等で視聴者相手に媚態を振りまくような愚挙は手控えて、漫才師としての王道を進んでほしい、ということだった。

今年は久しぶりに充実したM1だったが、やっぱり審査委員の松本某がウザイ。それと、番組的にしょうがないとは思うのだが、登場順がな。くじ引きで決めてるかのように見せて、あれ、明らかにヤラセでしょ。本命だった和牛がトリなんて。ちょっと白けましたな。

 

 

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