竹内銃一郎のキノG語録

見参! 文句ゆうノ介   「万引き家族」を見て。2019.05.12

競馬、二週続けて大敗。勝った三週前にも鼻差で大穴を取り逃がしているのだが、その鼻差負けの大穴取り逃がしが、先週今週と続いたのだ。わずか数センチの差で天国から地獄へ。この認めがたき理不尽を抱えながら、3、4日前に途中まで見た映画「万引き家族」の残り20分ほどを見る。途中で見るのをやめたのは退屈きわまりなかったからだが、ここにこうして書くには最後まで見ないと、と我慢して …。

タイトルからも明らかなように、是枝裕和氏のこれまでの作品と同様、<「家族」が孕む種々の問題>を前面に押し出す内容だが、例えば、「誰も知らない」「奇跡」「そして父になる」等のように、なんらかの事情から家族の間に亀裂が走り …、というのとは違って、今回は、誰ひとり血のつながりのない者たちからなる「疑似家族」のお話である。これまでも繰り返し書いているように、「分からないから好き」というのが、物事に接する際のわたしの基本形で、競馬がやめられないのも、前述の理解しがたい<理不尽さ>ゆえだが、改めて断るまでもなく、世の中には理解の矛先を向ける気にもなれない<分からないモノ・コト>が溢れていて、「万引き家族」もその一例である。

映画が始まって間もなく、父らしき男と息子らしき男の子との万引きシーンがあり、しばらくすると、ここに描かれている家族はフツーの家族ではないことが分かり、つまりは、万引きが彼らを繋ぐ絆なのだと推測したが、しかし、タイトルに掲げるほど鮮やかな万引きがなされるわけでもなく、日常的に万引きをしている風でもない。そもそもなぜ彼らが万引きをするのか、それが分からない。彼らの住まいは、一家6人で住むには狭すぎるボロ家で、食事の多くは、そば・うどんの類。それらはいかにも彼らの貧しさを物語っているかに思えるが、しかし、おばあさんはそれなりの年金を貰っていて、父らしき男は日雇いの肉体労働を、母親らしき女性は工場勤務、家族内の位置が不明な若い女性は風俗嬢と、わたしの計算では、少なめに見ても4人で月に30~40万ほどの収入はあるのだ。贅沢は出来ないが、これだけであればそこそこの生活は出来るはずで、にも拘らず、子供にまで万引きをさせるのはなぜ? 繰り返しになるが、万引き行為が家族の絆になっているとも思えず、社会の規範に反旗を翻す行為だとしたら、もう少し大金を狙わせたらどうなの? 万引きに尋常ならざる快感を覚えている風にも見えないし、分からん。

物語的には、あまりに杜撰な設定はまだまだあるのだが、「これはひどい」と思ったのは、先に記した「つながり不明な家族」がいったいどういう経緯で疑似家族をなしたのか、その種明かしを最後に持ってくるという、古くて安いサスペンスドラマ的な作りである。わたしが大好きなH・ホークス映画はみな、始まって10~20分ほどで、いまはなんでもないがAとBは対立し、CとDは恋愛関係になり等々、主要人物の人間関係や、最後の落としどころがすべて想像できて、ほぼその通りになる。それが面白いわけ? 面白いんです。作り手が考えるべきは、結果・結論をどうするかではなく、その結果・結論に至る過程をいかに面白く見せるかなのだから。ネットで見たから真偽のほどは分からないが、海外では「小津安二郎を思わせる」という評価を得ていて、それに対して是枝氏は「小津ではなく、わたしが好きなのは成瀬巳喜男だ」と言っているとか。彼はほんとに小津や成瀬を見てるのかな? 肝心なところは論理をすっ飛ばして泣かせに傾く。御両人の作品にこんな古風な作りはありました? 即興風のシーンが多々あるが、それがなんとも白々しく。キアロスタミの作品などちゃんと見ていたら、こんな安直な映画など撮れないと思うのだけれど。そう言えば、ラスト近く、安藤サクラ演じる<母親>が、警察の取り調べに応えるシーンは、明らかに、トリュフォーの「大人は分かってくれない」のパクリでしょ。しかし。

もっとも分からないのは、これがカンヌで受賞したこと。審査員はどこのどなただったのでしょう?

 

 

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