竹内銃一郎のキノG語録

無謀結構2019.06.06

昨日は稽古初日。最後まで読み合わせをしたのだが、後半は、舌が動かず回らずレロレロになってしまった。緊張で余計なところに力が入ったためもあろうが、終わった後の疲労たるや! この一週間ほど毎日2~3時間、暗記してしまおうと主に最初の10頁ほどを繰り返し声を出して読んでいた。台本は全部で33頁だから全体の約3分の1に過ぎないのだが、これだけを読み上げるのにかなりの疲労感を覚えて、これに動きが加わるのだ、最後まで体が持つのかなと不安を抱えての稽古初日だったが、やはりの結果と相成った。

久しぶりに保坂和志の小説を読む。○○賞(失念)を受賞した「こことよそ」が収められている短編集「ハレルヤ」。本のタイトルになっている作品は「飼い猫の死」を核とした小説で、最初の数頁読んだらそのことが分かったのでこれは素通りし、次に置かれている「こことよそ」をまず読む。保坂の小説は「未明の闘争」以来、何年ぶりになるのだろう? 例によって例の如く、<破格の日本語>で書かれている。彼の小説は決して大衆受けするものではないはずだが、にもかかわらず多くの賞をあれもこれも。あれもこれもの受賞という、その事実だけを取り上げれば映画の是枝裕和と同じだが、こっちは通俗の極みなわけでしょ? 世の中、なにがドーなっているんでしょ? 映画界と文学界とはそんなに評価基準が違うわけ?

蒼井優が山ちゃんと結婚。想像するに、ふたりとも一筋縄ではいかない性格で(実際はどうだか知りませんが)、だから「波長があって結婚」ということになったのであろうが、蒼井に「結婚」を選ばせたのは、このまま「女優」を続けてなにが出来るの? というシリアスな疑問符が頭をもたげたからではないか、というのがわたしの推察である。これまで繰り返し書いているが、日本の俳優、特に30歳を超えた女優さんが置かれている環境は劣悪というほかなく、彼女のように能力が高ければ高いほど、やればやるだけ不満足感がつのり、もういいか、と思うのではないか。今年に入ってからこのブログで取り上げた、「女王陛下のお気に入り」「聖なる鹿殺し~」「心と体と」「ウンインド・リバー」、書きたいけど時間がないグザヴィエ・ドランの「Mommy/マミー」等々の秀作映画を見て、尚更にそう思うのである。「ウインド・リバー」を見た時、エリザベス・オルセンがやったFBIの捜査官役なんて、綾瀬はるかにぴったりじゃないかと思ったし、踊りも踊れる蒼井優なら、「女王陛下の~」でエマ・ストーンが演じた役をやれば、彼女の能力はフル回転し、新たな境地に達することが出来るはずだ。でもこの国ではそんなこと …

最後に、前述した「こことよそ」から一部引用。

バブルの真っ最中というか上昇期だ、私は西武百貨店のカルチャーセンターの安月給でバブルの恩恵にはまったく浴さなかったが上の人間から下の平社員まで気楽なのはこのうえなかった、停滞して抑うつ的な空気しか知らない若い人たちはそこは想像できないかもしれない。

抑うつ社会。そうか、わたし(たち)の若い頃は、いまの若者たちに比べたらずっとお気楽で、そのことが体や心のあちこちに未だに住み着いていて、だからいい歳こいて俳優なんかやってみようなんて無謀な試みに挑ませるんだ。

 

 

 

 

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