竹内銃一郎のキノG語録

七つ寺共同スタジオとそれにまつわる幾つかの思い出2019.08.16

昨日14日、一年ぶりに田舎に帰る。昔のお盆といえば、迎え火だの送り火などをやったはずだが、もう何年も前からその種の儀式はなにもやらず、お寺に行ってお経を聞いて卒塔婆をいただき、墓参りをするのみ。お盆といえば、兄弟等の肉親たちとわいわいと他愛もない話をしながら食事をするというのが最大の催し物=お楽しみとなっている。姪の子供たちがまたひと回り大きくなっていて驚く。中学生の女の子は彼女の母親も祖母祖父、そしてわたしをも抜かんとするほど背高になっている。まさに驚き桃の木山椒の木だ!

夕方、名古屋へ移動して、10月公演で使わせてもらう七つ寺共同スタジオを下見。この劇場を見るのは約30年ぶり。舞台・客席の記憶は薄れてしまったが、二階の楽屋に入ったら昔のあれこれを思い出した。台所があって、そこで劇団の若い女性たちが食事作りをしてくれて …。この劇場の照明関係の仕事をしているらしい平野さんが顔を出す。彼は20数年前、名古屋の劇団・劇座で上演した「ひまわり」に出演したらしいのだが、演出を引き受けたわたしは、申し訳ないことにまったく記憶になく。この時の公演でいまだにはっきり記憶しているのは、稽古中だったか、劇団の代表である天野さんとのやりとり。「このお芝居は面白いとは思うのですが、よく分らないところが幾つかあって …」と言われたので、「例えば、どういうところが?」と訊ねると、「『ハムレット』の登場人物名や『三人姉妹』の登場人物名を名乗る登場人物が出てきて、彼らが一緒にすき焼きを食べたりするので、これはいったいどこの国の話だろう? と不思議で …」とおっしゃるので、「別にどこの国と特定しているわけではないので、無国籍ものだととらえていただければ …」とわたしは応えて。

下見終了後、中日新聞の栗山さんから今度の公演に関する取材を受ける。もちろん今回が初対面。30分強、的を射た質問が次々と繰り出され、久しぶりに爽快感を味わい、まだこんなちゃんとした演劇担当記者がいたのかとうれしくなる。その後、名古屋公演の制作を引き受けてくれた乗松が、かって劇場の代表(?)だった二村さんに連絡をしてくれ、彼が、かって名古屋タイムスの記者でわたしに競馬予想を書かせてくれた鬼頭さんも呼んでくれて、4人で一杯。これもすっかり忘れていたが、鬼頭さんとお近づきになったのは、「七つ寺」で大和屋さんの映画が上映され、その後に大和屋映画に関するシンポジュームがあって、わたしはパネラーのひとりとして呼ばれ、鬼頭さんはその時の進行役だったとか。うーん、これも記憶の欠片もない。

二村さんにはとてもお世話になったことがある。それは、秘法時代のこと。新作「夢見る力」がまったく書けず、山崎哲さんの転位21とわたしたちの新作の連続公演を予定していた大阪の劇場から、「どういうことかこっちに来て説明してほしい」と言われ、行ってみると、七つ寺での公演も予定の中に入っていたので、二村さんも呼ばれていたのだった。新作が書けないので、斜光社時代に上演した「ドッペルゲンガー殺人事件」を改訂して代わりに上演したいとのこちらの申し出を、なんで一方的にそっちで決めるのか、もう「夢見る力」でチラシ・ポスターが出来上がっているのに、とこれが劇場側の言い分である。もっともなお話ではあるのだが、本番が間近に迫っているのに、そんなことに時間をとられたくないというわたしの言い分もあったのだが、渋々大阪に出かけ。その時の話し合いはかなり鮮明に覚えていて、大阪の劇場側の怒りは当然とは言え、「観客たちはみな竹内さんの新作を見たがっているんですよ」という言葉にわたしは反発、「観客はわたしの新作をではなく、面白い芝居を見たいと思ってるんじゃないんですか。わたしも中途半端な出来の新作よりも、旧作だけれどより面白い作品を作りたいし、見てもらいたいと思ってるんです」と居直る。この時、二村さんは徹底して黙して語らず。そのことに感銘を受け、いつかこのひとには恩返しをと思ったのだった。といって、結局なにも出来はしなかったのだが。だから、氏に今度の公演を見てもらい、楽しい時間を過ごしていただければと思っているのだが。

と、ここまで書いて、そう言えば、あれは「戸惑いの午后の惨事」だったか、劇団員の関根さんが劇場近くの銭湯でチケットを買ってもらったエピソードとともに、平野さんのこと、大和屋映画の上映会のことを思い出す。「今は昔、~」の中に、5分前のことを思い出すのに1秒かかるとすると、10年前の記憶を取り戻すために2週間かかるという台詞があるのだが、書き始めてからここまで1時間半。わたしはまだ大丈夫。

ああ、もう16日になっている。まだ雨が降り続いているようだ。明日から稽古再開。涼風よ、吹け。

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