死と詩と 驚きの日々2019.11.24
昨日、ジュンク堂書店で加藤典洋氏が亡くなったことを知る。家に帰ってネットで検索すると、今年5月に逝去されたとあり、さらに驚く。知らなかった。氏の著書は8冊ほど読んでいる。どれも読みごたえのあるものばかりだが、中でも、『言語表現法講義』(岩波書店 1996年)には、近大での「文章表現」の講義の進め方のヒントとなり、ずいぶん助けられた。
それにしても驚き連発のこの数日。「月ノ光」の改訂は、三一書房から刊行された戯曲集に収められているものをベースに始めたのだが、ふと、再演した時の台本がどうなっているか確認しようと思ったがそれがなかなか見つからず、ならばと長く開けずにいた引き出しやら段ボールやらをまさぐっていたら、なんと、50数年前に書いた短編シナリオが出て来た。それは、シナリオ研究所の講師をされていた方(名前失念)が、卒業生たち対象のゼミを開いていて、そこで書いたもの5作。どれも箸にも棒にもかからない愚作であることにも驚いたが、笑いの「ワ」の字さえないその陰々滅々とした、ひたすら暗い内容にはさらに驚く。現在のわたしがこの頃のわたしを指導していたら、間違いなく、きみはシナリオライターには不向きだと伝えていただろう。もしかしたら、わたしにもその自覚があったのかもしれない。モノ書きになる夢を捨て、大学を卒業したらフツーのサラリーマンにと、その翌年にはそれなりに大学に通っていたのだが、3年修了時に、1年留年しても卒業に必要な単位数を取得出来ないことが判明し、それで再度、シナリオ研究所の上級ゼミへ行くことに。そこへ入るために書いた50枚ほどのシナリオも同じところにあって、こっちは前述の作品とは違ってまずまず読める出来、若い頃は短時間でこんなに変わるのかと驚く。箸にも棒にもの5作はどれも中学生・高校生を主役としたものだったが、「書くことなし!」というタイトルのこちらは30代半ばのサラリーマンが主人公で、彼の奥さんが若い学生と恋に落ちて離婚、しかし、元妻の相手の学生と会って穏やかに妻をよろしくと頼み、家に荷物を取りに来た元妻とも和気あいあいと語りあい、それらの間に彼が毎日書いている日記の音読が挿入され、多量の睡眠薬を飲みベッドでひとり眠る彼の脇に置かれた、「書くことなし!」と書かれた日記の最後の頁の提示でエンドマーク、というのがこのシナリオの中身である。巻末に「黒田三郎の『明日』を引用」とあり、そうか、わたしの初期の戯曲、「少年巨人」では尾形亀之助の詩を、「檸檬」では鈴木志郎康の詩を、「戸惑いの午后の惨事」では石原吉郎の詩を引用しているこれらの先達として、このシナリオがあったのだ。
冒頭のジュンク堂へ行ったのは、「月ノ光」関連で覗いていたネットで和多田葉子翻訳のカフカの「変身」(「かわりみ」と読む)が面白いとあり、それを買うためだったのだが(目出度く購入)、そこへ行く前に覗いた京都駅構内にあるふたつの本屋の文庫本の棚には、海外の作品が皆無! とにかく一冊もないのだ、いずれも多くのチェーン店を抱える書店なのに。どうなってんだ、いまのこの国は。TV等では、芸能人が亡くなると、さほどのひとでもないのにそれをビッグニュースと報じる一方、文学ばかりでなく歴史・政治等の分野でも一級の評論家である加藤氏の死はほったらかしで。愚劣の極みだ。そうだ、京都駅構内の本屋で驚いたことがもうひとつ。貴乃花や樹木希林等<芸能人>の本が置かれたもっとも目立つ場所に、なんと内田樹の新著が2冊紛れ込んでいた。いやはや。