竹内銃一郎のキノG語録

わたしの見方、捉え方、間違ってマス? 映画「カツベン」にガッカリ。2019.12.23

このところ「ガッカリ状態」が続いている。

先週木曜、相当の期待感を抱えて見に行った「カツベン」がまったくの大外れで相当なショックを受け、金・土と見た芝居もイカガナモノか、そして止めををさすように、有馬記念でわたしのアイちゃんがあろうことか、9着と惨敗。中山競馬場の2500はアイちゃんには不適だとは思っていたし、パドックの状態もわたしの目にはいささか緩めに見えて不安がよぎったが、しかし、負けても3着は外すまいと確信していたのだが …。今年亡くなった「マイ・ディープ!」の日本での唯一の負けは有馬記念で、このレースに勝ったのは、今年の有馬の勝ち馬リスグラシューの父親のハーツクライ、なんと運命的な結果であったことか。そして、M1でのかまいたちのまさかの敗戦。

「カツベン」の監督、周防正行は城定秀夫とともに、わたしが常にその作品に刺激を受けてきた数少ない日本の現役映画監督である、それが。前回触れた「止められるか、~」同様、シナリオがなんとも薄っぺらなのだ。

映画黎明期の今から100年ほど前。舞台は京都の田舎町で、映画の撮影現場を見学していた数人の子どもたちが<映画>の中にまぎれ込み、警官に追われ …というところから物語は始まる。それから10数年後。その子どもたちの中のひとり、活弁士に憧れていた男の子がその夢を実現したかと思いきや、泥棒の一味に加わっていて、警察に追われ、逃げ込んだところが映画館。そこで憧れていた活弁士に出会う。かと言ってすぐに活弁士になれるわけもなく、日々映画館の雑用に精を出していると、子どもの頃、一緒に映画を見ていて親密になっていた女の子と再会、彼女は憧れていた映画女優になっていた、そして …。というお話なのだが、説明不足からくる不可解さの連続。例えば。竹中直人と渡辺えりが演ずる夫婦の映画館、最近近くにヤクザ(小日向さん)が経営する大きな映画館が出来、そのせいで経営状態が悪化、というのにである、<竹中映画館>専属の高良健吾演じる人気活弁士は、小日向さんから、給料は倍増するからと声がかかっているのに、首を縦に振らないのだが、その理由はまったく明らかにされない、とか。先のヒーロー・ヒロインとなるふたり、同じ学校の同級生か近所の友だちかと思いきや、お互いの名前を知らなかった、とか。男の子はどうして泥棒一味に加わったのか、とか。どれも物語の中ではさほどの重要性もない情報といえようが、しかし、台詞の二つ三つ、必要なカットの一つ二つがあればこれらの不可解は簡単に処理出来るのだ、それをサボってる。ヒーローを演じる若い俳優のカツベンが、これまたイマイチで。同じ周防さんの、わたしの大好きな「シコふんじゃった」に出演した東京乾電池の谷川くんから、相撲の稽古が相当厳しかったと聞いているし、「Shall we ダンス?」でも渡辺さんからダンスの稽古が …と同様の話を聞いている。でも今度の映画では、何人か登場する活弁士のカツベンがどうにも素人っぽくて。また、これまでの周防映画同様、ギャグは連発されるのだが、どれもこれもクスリとも笑えず、笑ったのは箪笥の引き出しを使ったシーンのみで、とりわけ、ラストの3台の自転車を使っての追っかけなど、ひたすら長くてうんざり。どうしたんだろう? なにがあったんだろう? 周防さん。そう言えば、

前日にTVで見た映画「地上最大のショー」に似ていたな、と。「カツベン」は映画館をメインの舞台にして、サイレント映画の数々、あるいは、カツベン、映写技師等々の仕事ぶりを見せ、そこに男女の絡み合いを絡ませ描いているのだが、「地上最大のショー」もサーカスの様々な動物たちの芸や空中ブランコを中心にした人間たちの芸をご披露しつつ、これまた男女4人がくっついては別れ、別れてはくっつくという恋愛ゲームを見せる。確かに物語の構造は似ているのだが、その中身は。「地上最大のショー」というタイトルに嘘偽りナシ! おそらく数千人は入るであろう巨大なテント作りをドキュメンタリー風に事細かに描くところ、10頭ほどの象が全員、両前足を前の象の背中に乗せ、音楽にあわせて行進するその芸の凄さ、あるいは、どう見ても女優自身がやっているとしか思えない高度な空中ブランコ芸など、驚嘆の連続だった。そうだ、ヤクザが絡むのも同じだ。「カツベン」では彼らによって映画館が焼かれ、「地上最大のショー」では、サーカス団の20車両ほどもありそうな移動中の専用列車がヤクザによって焼き討ちにされる。う~ん。だけどスケールの大きさがまさに月とスッポンで。もちろん、両者の制作費も同様であろうが、だからこそ、小技を徹底的に研ぎ澄まして作らないと。わたしの見方、間違ってマス?

またまた今回も長くなってしまった。書きたいと思っていたM1については次回に。

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