竹内銃一郎のキノG語録

恐れ入り谷の鬼子母神! 「家へ帰ろう」を見て。2020.01.18

初めて見る「セブン」(監督デヴィット・フィンチャー)に驚嘆する。この映画、ちょっとした映画ファンなら誰でも見ているであろう有名な作品であるが、わたしは昔も今もアメリカ映画はあまり見ていないのだ。いや、古くはH・ホークス、J・フォード、チャップリン、キートン、マルクス兄弟、現役ならばC・イーストウッド、W・アンダーソン、コーエン兄弟、J・ジャームッシュと、ここいらの作品はほとんど見てはいるけれど。「セブン」、連続殺人事件の犯人が分かって以降は、もうひとつ物足りなさを覚えたが、そこに至るまでが信じられない奇策の連発で、よくこんなことが考えられるものだと唸ってしまった。しかし、好き嫌いで言えば …。映画に限らず、わたしが好きなのは、笑えて泣けるモノだから、「セブン」のような怖さ100倍の作品を好きだとは言えない。上記した監督たちの作品のほとんどは、笑えて泣ける作品であることは改めて言うまでもなく、もちろん、「家へ帰ろう」もそういう作品である。

主人公の老人は眼光鋭い強面の持ち主だが、その言動には、当人にどれほどの自覚があるのかどうかは分からないが、常にユーモアが漂っている。冒頭のダンスシーンに続く、肉親との別れのシーンでの孫だかひ孫だかとのお金をめぐるやりとり、飛行機内での隣席の若者とのやりとり、マドリッドで泊ったホテルの女性オーナーとのやりとり等には頬が緩みっぱなしにさせられる。しかしその一方で。前回にも触れた、飛行場での出入国管理官との厳しいやりとりや、かって彼が怒り狂って「出て行け!」と家から叩き出した末娘との、マドリッドでの再会のシーン、パリの列車の切符売り場で、ドイツを経由しないでポルトガルへ行く列車はないのかと抗議するシーン等々、サスペンスフルなシーンが次々と繰り出され。また、先にも触れた、飛行機内で知り合った若者、ホテルの女性オーナー、そして、パリの駅構内で声をかけてくれた文化人類学者のドイツ女性、パリから乗車した列車内で倒れ、担ぎ込まれたワルシャワの病院の女性看護師と、窮地に陥った彼に救助・援助の手を差し伸べる人々が次々と現れる幸運=奇跡に、胸が熱くなり。こんな映画はあまり記憶にない。

これまた前回の繰り返しになるが、緩急、硬軟を巧みに織り交ぜたストーリーの展開の仕方が、中でもフェイントの掛け方が小憎らしいほどお上手なのである。ドイツの地を踏むことは出来ないと言い張っていた彼が、次のシーンでは文化人類学者の女性と一緒に列車内にいて、ドイツ国内の乗換駅に停車すると、女性が自分と彼の衣類をホームに敷いて、その上を彼が歩いたり、とか。ワルシャワの病院の看護師が運転する車で一緒に、懐かしさと嫌悪感が入り混じったウッチにある、彼の無二の親友の住まいを探し、訪ねるのだが友人は見当たらず。彼が家族と一緒にアルゼンチンに移住する時、その友人といつかまた会おうと約束して、今度会う時にはお返しとして渡すべく、友人のために彼が仕立てた服を大事にとっておいたのだったが、なんの連絡もしないまま、あれからもう70年の年月が流れているのだ、拭っても拭いきれない悔恨に包まれて呆然と立ち尽くしていると、ふと目の前に …。

まさに<恐れ入り谷の鬼子母神>的映画なのだ、これは。

 

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