活動の記憶② 1973~752020.02.19
前回書いた同人誌「純子の友」に掲載した、わたしのシナリオのことを思い出したので、追記しておく。タイトルは「わが逃走 グッド、グッド、グッドバイ!」だったはず。中身の詳細は忘れてしまったが、愛し合ってる兄と妹を切り離そうとする母親に抵抗、そして反撃。認めると言うまではと、ロープでがんじがらめにした母親をふたりは階段から何度も落とす、などという暴力シーンがあるのだが、これと同じ階段から落としては上げというシーンが、大和屋さんがシナリオを担当した、「八月の濡れた砂」(藤田 敏八監督 71年公開)にあり、驚く。多分、書いているうちにふと頭に浮かんだのだろう。
73年、シナ研同期の小澤さんから、彼が主宰する「劇団アステール」の公演の戯曲を頼まれ、「闇めくり ケンタウルス祭」を書き、六本木にあった自由劇場で上演。今年6月に公演する「さいごのきゅうか」のチラシには、「少年巨人」をデヴュー作と書いたが、入場料をいただく芝居の台本執筆はこれが最初だ。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を下敷きにしたものだが、ホンの中身はまったく覚えていない。覚えているのは、前回にも登場した大木がチケットを数十枚売ってくれたことと、斜光社創立の言い出しっぺ、沢田情児(この時の芸名は譲治)とはこの芝居で意気投合したことのみ。
74年、いったんは仲違いした鈴木くんから、新作を撮りたいので手伝ってほしいという依頼が。シナリオは、シナ研ゼミで彼と同期の西村仁に頼むので、竹内さんには制作とそれから出演も、という話。タイトルは「カレンダーレクイエム 黄色い銃声」。主役には情児を、彼の相手役には絵沢萌子さん、他に誰が出ていたっけ? と、さっきネットでこの映画を検索してみたら、ありました、わたしはなにひとつ覚えていないストーリーまで。そうそう、殺し屋役に、映画評論家の佐藤重臣、当時は「桜社」、現在は「東京ヴォードヴィルショー」の石井愃一さん、「発見の会」の創立メンバー牧口元美さん、前述の「闇めくり~」の演出家・小澤さん、出演していた銀城アトム、宮武四郎という芸名のわたし、等々。これには主役を演じたのは情児ではなく、現「木場勝己」の西村克己とある。そうなんです、撮影初日は東北のどこかで撮る予定で、朝の早い時間に上野駅のプラットホーム集合となっていたのだが、発車時間が迫っているのに情児が来ない、何度か電話もしたのだが出ない。限られた製作費を考えたら宿泊先をキャンセルするわけにもいかないし、せっかく絵沢さんも来ていただいてるし、というわけで、とりあえずわたしが主役を演じて絵沢さんの相手役を、という話に。何日撮影したのかまったく覚えてないが、とにかく降りしきる雪にまみれて七転八倒。結局、情児は「家庭の事情」で降りることになり、木場さんが代役に。忘れられないのは、鈴木くんとわたし、それにホンを書いた西村くんと3人で(木場さんもいたかな?)情児の住むアパートに行くと、部屋のドア越しに情児の怒鳴り声と奥さんの泣きながらのわめき声が聞こえて …。わたし、泣いちまって。この<事件>が青春の終わりを告げてるような気がして。
74年、牧武志さんが主宰していた「鼓家」の公演に、台本を書いた小澤さんから出演のオファーあり。これは以前にも書いたと思うが、雑誌「新劇」の劇評で、わたしの演技にお褒めの言葉が(評者の名前失念)。しかし、そんなことより、石神井公園の野外ステージでの無料公演だったのだが、生演奏を担当したのが、打楽器の土取利行、トランペットの近藤等則、サックスの梅津和時と、後に超有名な音楽家となるひとたちだったこと。いま考えても、どういう経緯で名も知らぬ芝居なんかに関わってくれたのか、まったく分からない。翌年、「鼓家」の次回公演の台本依頼があり、「月光革命」を書く。これもどういう話だったのか、まったく記憶がない。(うん? どっかに本があったかな?) そしてこの年の暮れに情児から、「一緒に劇団を作って …」という話を持ちかけられて …(続く)