竹内銃一郎のキノG語録

茗荷谷極楽園球場?!  活動の記憶⑥2020.04.10

「活動の記憶」というタイトルで書いているのだが、「記憶」のベースになっているのは、手元に残されていたチラシである。「少年巨人」は野外と屋外、両方の劇場でやったことは覚えていたが、チラシを見るまで、ふたつの劇場に、「茗荷谷極楽園球場」(拓大前林泉寺内特設)、阿佐ヶ谷失楽園球場(アルスノーヴァ内特設)と命名したことはすっかり忘れていた。前者の林泉寺は多分、「ぴあ」かなにかで発見したのだろう。この寺の住職が「人間座」の主宰者・江田和雄氏であることを知り、わたし、情児、西村と三人で江田氏に会いに行き、お寺の境内、具体的に言えば、本堂に至る階段と本堂入口を舞台に使い、境内を客席とする案を提示し、快諾をいただく。アルスノーヴァも借りたのは、屋根のない境内での公演が雨天中止になった時の押さえとしてだった。林泉寺での公演の二日目、ザザ降りの雨の中、借りてきたブルーシートで急ごしらえの客席の屋根を作って …という話は、忘れられない思い出だが、以前にも書いたからもういいでしょう。この公演で舞台監督をやってくれた和田は、次回公演の「カンナの兎」から斜光社最終公演の「Z」まで演出を担当、劇終盤、「新の身体から炎が噴き上げ~」と書かれたト書きに従い、本堂に至る階段の両脇から火花を噴き出す花火の仕掛けを担当した小出、それに客として来てくれた沙菜恵は、和田ともども劇団員となる。いずれも、西村の「風屋敷」の仲間だった。

斜光社では合計9作上演したのだが、現在の自己評価ではこの「少年巨人」が飛び抜けた快作だ。父親が柱に縛りつけた長男の腹部を、劇の始まりから終わりまでバットで延々殴り続ける、こんなに過激な暴力を露にした芝居を、ほかに知らない。「活動の記憶④」で、A・ジャリの「超男性」等からの引用があることを書いたが、他にも、「自由が丘 亀屋万年堂」のCM、円谷幸吉の遺書からの引用があって、つまり、多種多様な引用から成り立っている台詞=言葉がユーモアを醸し出し、目を覆いたくなるような暴力シーンを和らげる働きをしているのだ。それにしても。新ミスターは劇中で実際にバットで何発殴られるのか。戯曲をザっと読んで確認してみると、旧マシンに30数発、それにマシンにも10発近く殴られるから、合計40数発。稽古では同じところを何度も繰り返したはずだから、一日に100発強とすると、稽古期間が一ヶ月だったとしたら、情児は少なめにみても合計3000発以上は殴られたわけだ。う~ん。腹部には布を数枚重ねて間に竹を挟み込んだ<防具>を巻いてもらったが、西村は本番になると時に冷静さを失い、情児の腹部を外して股間にバットを叩きこんだりもして …。こんな戯曲を上演したいなんて思う演劇関係者など、もういないだろう。情児が亡くなって10年くらい経つのか。まさか「少年巨人」で振るわれた暴力が早死の遠因のひとつに? だったら御免。

そうだ、これも忘れないために、劇の始まりに「プレイボール!」と叫び、終わりに「ゲーム!」と叫ぶだけの審判役を演じた、宮武司郎のことも書き留めておこう。これはなにを隠そうわたしです。この芸名は、戦前最高の二刀流野球選手、宮武三郎からお借りしたものであります。

 

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