燃え上がる血潮を拳に込めて 活動の記憶⑦2020.04.17
実質デヴュー作といえる「少年巨人」は1976年の4月に上演。この時わたしは28歳。若い! けれど、この年齢で演劇を始めたひとはそんなにはいまい。合計5ステージの観客数はおそらく120~30程度で、その大半は情児と西村の知り合いだったはずだが、しかし、「面白かった」という感想は多く、なにより、前回にも触れたが、和田等の入団がわたしにとっては大きな力=励ましとなった。というわけで?
2回目の公演「カンナの兎」からは、各公演のチラシに書かれたキャッチコピーをひき写しつつ、斜光社解散公演となった「Z」まで、一気に走ろう。因みに、「少年巨人」のチラシにはキャッチコピーはない。
②カンナの兎(76年10月15日~19日 於:太陽神館) 「兎一匹殺すのに狂気なんているものか! 燃え上がる血潮を拳に込めて 表現の極北へと独走する斜光社が 神無月に贈る真性の凶器」
金井 美恵子の小説「兎」に触発されて書き上げたことは覚えているが、金井の小説もこの戯曲も中身がいったいどういうものか、欠片も憶えていない。覚えているのは、出演者のひとりであったわたしが、舞台装置の裏に設えられたやぐらに立って出番を待っているうちに、眠くなってウトウトして落っこちそうになったことと、劇中、小出に蹴られるところで、彼の靴先がわたしの尻の穴に命中し、あまりの痛さに次の台詞を言えなかったことくらいか。太陽神館は、同名の舞踏集団の稽古場兼劇場。最寄り駅は小田急線の経堂だったか千歳船橋だったか。まだあるのかな?
③黄昏遠近法 夜空の口紅(ルージュ)(77年4月28日~5月5日 於:新宿ソシアルビル屋上特設「プラネットシアター)「おい、もうじき明日になろう夜っていうのに、どうしてあんなに真っ赤な空なんだ! 熱い血潮を拳に込めて、情況の射手、純情一途の斜光社が貧血の街、新宿上空より放つ赤色巨弾!」
歌舞伎町のど真ん中にあったビルの屋上を本舞台としたが、通りを挟んで向かいにあったビルの屋上の家も舞台に。わたしが演じた自称ジャイアント馬場が誤って殺してしまった嬢沙菜恵演じる恋人・アルコがそこに現れ、「おー、おーい」と大声で叫びながら手を振る、これがラストシーン。西村関連の石橋蓮司さんや蜷川幸雄氏も来場。和田の大学の先輩で、下北沢で有名なスナックを経営していた某さん(名前失念)が、「面白い」とお客たちに言ってくれたことも手伝って、この作品で俄然注目の的となる。劇中で西村が歌う歌(題名失念)は、後に著名な推理作家となる島田荘司さんが作詞・作曲したものだが、この頃は、「シンガーソング・イラストレイター」を自称していて、前回より「SF大畳談」までのチラシ作成もお願いしている。この公演から池袋地球座のバイト仲間だった山口鋭が参入。また、以前にも書いたがこの作品を最後にわたしは俳優廃業。
④ドッペルゲンガー殺人事件(77年10月30日~11月6日 於:大浦藤吉邸)「ほどよき天気に恵まれた ほどよきウィークデイのほどよき時刻 ほどよき家庭のほどよき4人の家庭を襲ったほど悪しき殺人事件! ほど悪しき警視庁のほどよき警部・犬飼犬太郎と彼のほど悪しき4人の部下達、シェパード、テリヤ、コリー、スピッツの活躍やいかに?! 19世紀末のドイツ文壇を震撼させた幻の名作、今ここに、斜光社の熱き腕に抱かれてその全貌を現す! (以下、ドッペルゲンガー現象の説明が書かれているが、長いのでカット)」
使用劇場の「大浦藤吉邸」の大浦藤吉とは、登場人物の名前。チラシにも明記しているが、そもそもは下北沢駅前にあったサウナの休憩所で、その時は空き家状態になっていた「娯楽センター3階」である。ここは確か和田が見つけて一ヶ月借り、本番前には稽古場としても使った。この公演も含め3度使用。本作のキモというべきは、刑事等が大浦家の人々になりすまし、「殺しの予告」を送って来た<殺し屋>を待ち構えているところで、つまりは出演者全員が二役を演じるわけである。久しぶりに読んでみたら、予想以上に面白かった。タイトルにある「ドッペルゲンガー」という発想がどこから生まれたのか。すっかり忘れていたが、これを書いていたら思い出した。多分、乱歩の「挿絵と旅する男」やホフマンの「砂男」等、この頃この系統の小説に耽溺していたからだ。「殺人事件」は、つかこうへいの「熱海殺人事件」の揶揄が頭にあったのでは? きっとタイトルが先にあって中身はあとから考えたのだ。原作=リゴル・モルチスと書かれているが、もちろん、実在しない作家。これを見に来た真面目な(?)あがた森魚氏は、原作の小説を探し回ったらしいと、彼の知人の沙菜恵から聞いた。スミマセン。
う~ん。一気に走るつもりが思いのほか長くなってしまった。以下は次回に。