竹内銃一郎のキノG語録

1978年には新作3本?! 活動の記憶⑧2020.04.19

前回の続きです。

⑤檸檬(78年2月9日~15日 於:娯楽センター3階)「燃え上がる血潮を拳に込めて 純情一途の斜光社が厳冬に贈る黄金のスラップスティック・フルーツ きみの内ポケットの奥深く 感情の灰神楽を巻き起こす正体はこれだ!」

梶井基次郎の「檸檬」の劇化が頭によぎってこのタイトルにしたかと思われるが、まったく関係のないものになっている。タイトルに必然性を持たせるために、ラストシーンで檸檬が床に転がってることにし、そのシーンの前と劇が始まってすぐのところで、彼の小説「城のある町にて」の一部を少し言葉をかえて引用している。それから「今日はいいことを聞いた 光は 反射物がなければ~」から始まる鈴木志郎康の詩「光」(「詩集 やわらかい闇の夢」所収)も劇終盤で引用。演出の和田が考えた舞台美術が秀逸。舞台中央奥に、箪笥等の家具が描かれた白布が、こんもりとした山状のものを覆っていて、劇半ばでその布を剥ぎ取ると、そこには新聞の山が! というもの。この公演には鈴木忠志さんが見に来られ、演劇評論家諸兄にこの芝居の宣伝をしていただいて …。「美術手帳」に掲載された扇田昭彦氏の劇評も鈴木さんのおかげだろう。公演の半年後、雑誌「新劇」から、戯曲掲載の連絡が入り、アララと驚く。次回公演の「劇薬」を見に来た東京新聞の森(秀夫)さんから、「岸田戯曲賞の最終候補になってるよ」と聞かされ、冗談だと思っていたらホントだった。

⑥THE DRAMATIC POISON 劇薬(78年6月24日~7月3日 :下北沢娯楽センター3階)「熱い血潮を拳に込めて 純情一途の斜光社が 骨も身もある貴方に贈る 虚実の皮膜も蕩けさす 花も実もあるこの薬」

映画の撮影と被ったのか、「檸檬」ではラストシーンで檸檬を手に斜め立ちしていただけの情児が復活し、「檸檬」を見に来た日に、劇団加入を申し入れた森川も出演(彼は仲代達也とともに「無名塾」を起ち上げた創立メンバーだった)。更に、わたしの現・奥さんも、「劇団三十人会」の研究生・同期だった小出の依頼を受けて、この公演より制作に加わる。話の軸は、ともに高校生だった西村が演じた富士と、沙菜恵が演じたさくらが、十年後の再会を誓って別れ、それから十年が過ぎて …というものだが、情児が演じた一郎は、自らのチン○コが小さいことから生じたコンプレックスから、女王蟻との結婚を希望している男だったり、山口が演じたトッカーは彼の弟だが、両親が亡くなって以来、父になり母となって心を病んでる兄を励ましていたり、そこかしこで、書いた自分が「いい加減にしろッ」と怒鳴りたくなるような駄洒落が全編でまき散らされ、要するに、ふざけきった作品である。ただ、富士が高校時代にさくらを撮った映画フィルムに火をつけて燃やし、彼の脇にいた町会長(小出)から「何してるんだ」と問われると、「向こう十年分の俺のヘロインを射つんだよ」と応え、さらに、「黙ってろ! 俺の映画が今、始まったばかりじゃないか」と怒鳴るラストは、ちと切ない。

⑦SF大畳談(78年12月14日~20日 於:代田橋・真空艦 / 79年4月15日~17日 於:渋谷PARCO裏テント)「枕が唄う 蒲団が跳ねる 机と椅子とは頬すり寄せて 壊れた蛇口に回し蹴り! 破れ障子が口笛吹けば 4.5畳は宙返る?! 純情一途の斜光社が タフで優しいあなたに送る ”黒いユーモア”さえ色をなす 抱腹絶倒のSadistic Fiction!!」

上記から明らかなように、この作品は二度上演されているのでチラシは2種類あり、書き出したのは二度目の公演チラシのもの。二度目の方は、名古屋(於:七つ寺共同スタジオ)、大阪(於:島之内小劇場)で初めての旅公演もしている。タイトルは、高信太郎の漫画「大冗談」からお借りしたもの。最初の公演場所「真空艦」は、70年代半ば、「早稲田小劇場」(鈴木忠志主宰)の中心メンバーの多くがそこから脱退し、新たに創設した劇団が工場跡に作ったアトリエである。鉄製の柱が何本か立っていて、舞台も客席も足元に床はなく土だった! その素朴さ(?)がこの芝居にぴったりで、そうだ、二度目の公演場所もテントの中だったのだから、もちろん、舞台も客席も作ったはずだが、こっちも土の上でやってたのだ、いま気がついた。多分、「劇薬」の公演終了後だったのだろう、和田と沙菜恵(夫婦デス)が実家の松江に帰ったので、和田は稽古・本番の期間のみ東京にいたが、沙菜恵はパス。だから、この作品の登場人物の中では唯一の女性である「たみ子(=劇の中では、タ・タミ子と呼ばれる)」は、不在の女で、声だけの出演とした。

さっき、「檸檬」と「SF大畳談」が収められているわたしの「戯曲集1」のあとがきを見たら、前者は、若松孝二の映画に触発されて …、とあり、後者は、筒井康隆の「乗越駅の刑罰」と西沢周平の漫画をヒントにして書いたとある。忘れてた。頭の中からボロボロと記憶がこぼれてるのだ。参ったな。因みに、あとがきには「題名失念」とある若松映画は、「現代好色伝  テロルの季節」(1969年)です。ネット検索により判明。

 

 

 

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