「斜光社」解散 泣きぬれて 活動の記憶⑨2020.04.21
新型コロナ感染の勢い、なかなか止まらない。昨日は清水寺から四条河原町に出てそこから三条まで足を延ばし、今日は伏見稲荷大社前を抜けて丹波橋まで出かけたのだが、どの通りにもひとは一桁しかおらず。まるで、空襲警報下状態。と言って、その状態の実際を経験したことはないのですが。と、不要不急の(?)前置きはそこそこにして。
⑧悲惨な戦争 (1979年7月20日~29日 於:文芸座ル・ピリエ)「君死にたまふことなかれ、すめらみことは、戰ひにおほみづからは出でまさね、かたみに人の血を流し、獸(けもの)の道に死ねよとは、死ぬるを人のほまれとは、大みこゝろの深ければもとよりいかで思(おぼ)されむ。」
本作キャッチコピーは、与謝野晶子の「きみ死にたまふことなかれ」の一部引用。タイトルは、PPMが歌ってヒットした曲名からのいただき。劇場の「ル・ピリエ」は、わたしが大学に入った頃は、「文芸座地下」という名の映画館で、上の「文芸座」、ここから徒歩7~8分のところにあった同じ系列の「人生座」も含め、いわゆる名画座であったが、「地下」は一時期ピンク映画専門館となり、ここで若松孝二の映画をよく見た。本作は、この劇場のこけら落とし公演の中の一本。戯曲が「新劇」に掲載される。この時、編集部の和気さんから、「次の作品で必ず岸田戯曲賞を受賞できるはず」なんて言われ、それがプレッシャーになったこともあったのだろう、なかなか書き上がらず四転八倒。この作品から、演劇評論家の衛(紀生)さんの紹介で、舞台美術を手塚(俊一)さんに依頼。これも筒井康隆の小説にヒントを得て書いたものだが、さっき「筒井康隆 家の中にベトコンと米兵が …」と書いてネット検索するも、作品のタイトル分からず。正直なところ、この作品にはあまり愛着がない。しかし、これで岸田戯曲賞を受賞して演劇界からおサラバしたら、日本の演劇史に残る<かっこいい事件>になるかも? などと思ったりもしたのだが …、落選。
⑨Z (1979年11月28日~12月4日 於:十条銀杏座)「顎も外れる午後三時 眉がビクツク街角で 手前の膝と貴様の肘とが Zigzagくねってとっつきひっつき 此奴の踵と彼奴の首とが 上下左右に突張りデコボコ 眼玉も飛び出す 腹もよじれる 嗚呼 大惨事!」
タイトルの「Z」は、この公演が斜光社の最後になるところから命名。劇団解散は、多分、前年の「SF大畳談」の公演あたりで決めていたように思われる。その理由として、和田夫妻が松江に帰って、沙菜恵の実家の仕事を継ぐことになったこと、情児が映画の仕事に専念したがってたこと、そして大和屋さんから、大江健三郎の小説「不満足」シナリオ化の仕事が舞い込んできたことから、「これを機会にもう芝居は …」とわたしは考えたのだ。十条銀杏座は、昔はどうだったか知らないが、この頃はピンク映画専門の映画館で、通常は(多分)夜の9時ごろまで上映してたところを、夕方5時頃で打ち切ってもらい、それからみんなで、舞台装置や照明・音響等のセッティングをして7時に開演、終演後は舞台装置等を片づけて …という忙しい公演だった。そう、かつて桜社が新宿アートシアターでやっていた公演スタイルを参考にさせてもらったのだ。この映画館の支配人だったおばさんは実に面白いひとで、この公演の翌々年に刊行された鈴木志郎康さんの「おじいさん・おばあさん」(筑摩書房)で取り上げられている。「Z」は、ベケットの「ゴドー待ち」をベースにしている。二人組の殺し屋・ぽすととなるとが、殺すように依頼されているZを待っている。そこに、ポッツォとラッキー(ゴドーの登場人物)をパロった、金の鈴・銀の鈴という「世界一似てない双子」が現れて …というもの。「Z」は、斜光社上演作の中では「少年巨人」とともにわたしの好きな作品で、岸田戯曲賞もこっちの方を候補にしてくれてたら …なんて思ったりした。楽日の公演終了後、出演者一同と一緒にわたしも舞台に出て、劇団解散のご挨拶をしたのだが、途中で言葉が詰まって泣いてしまい、客席のあちこちから「頑張れ!」の声が飛び交って、それがまた更なる涙を誘って …。