竹内銃一郎のキノG語録

ホロホロ泣いた …  活動の記憶・番外編2020.06.26

P・アルモドバルの「ペイン・アンド・グローリー」を見る。期待が大き過ぎたのだろう、詰らなくはないが物足りず。残念。別に口直しにというわけではないが、家に帰って美空ひばり主演の「伊豆の踊子(DVD)」を見る。数日前に、録画してあった山口百恵主演の同作を見てちょっとホロリとしてしまい、ひばり版はどうだったか確認したいと思ったのだ。

ウィキによれば、川端康成の小説は1926年に発表され、映画化は1933年の田中絹代主役の作品を皮切りに、ひばり版(1954)鰐淵晴子版(1960)吉永小百合版(1963)内藤洋子版(1967)74年の山口百恵版(1974)まで計6本あり、そのうち最初の絹代版と鰐淵さん版を除く4本を、わたしはいずれも公開当時に見ている。ひばり版を見た時わたしはまだ7歳、ということは小学2年生。最初は10歳上の姉に連れられて、彼女の友だち数人(高校生)と一緒に見、それから数日後であったか、次女の姉(小6?)とふたりで(他に誰かいたかも?)、もう一度同じ映画を。

原作は、幼時に両親を亡くしている学生(川端自身がモデル。この役を演じた石浜朗は絶品!)と1920年当時はあからさまに差別の対象となっていた、旅芸人一座の踊子(14歳)の、ともに理不尽な孤独と悲哀を抱えたふたりの淡い恋を描いたものだ。百恵版はほぼ忠実に原作をなぞっているのだが、ひばり版は旅一座の人々、あるいは、彼らの旅先の貧しき生活者にかなりの時間を割いていて、モノクロのためでもあろうが、それがあまりにリアルで胸が痛む。60年ぶりに再会したひばり版だが、客を乗せた馬車とバスとが競争するシーンや、一座のひとびとを尻目にドンドン先を行ったふたりがひと休みしていた傍を、キツネだかタヌキだかが走り抜けていくシーンとか、石浜朗の暗~イ眼差しとか、ところどころ鮮明に記憶していて驚く。

監督の野村芳太郎氏とは一度一緒に仕事をしたことがある。A・クリスティの「ホロー荘の殺人」が原作の「危険な女たち」(タイトルいまいち?)で、古田求氏が書いたシナリオにわたしが手を入れた。氏の事務所で初めてお会いした時、話をしている間、のべつまくなしに「うちの俳優を」と、どれもが今度の作品への俳優売込みで、準備段階のこんな時期にこんなに電話が! と驚く。しかし、もっと驚いたのはそのあと。氏が「メシでも行きますか」というので、わたしの知ってる大和屋さんや黒木さんとは違って、氏は売れっ子監督である、どんな高級店に連れて行ってもらえるのかとワクワクしていたら、これが(!)、銀座の事務所から歩いて数分のところにあったフツーのラーメン屋で。その時は「このひとはケチか?」と思ったが、いまはそうは思わない、恵まれた生活者はこんなところで見得をはる必要などないからこその選択だったのだ、多分。

映画の舞台になっている伊豆には何度か行っている。最初は高2の秋で、文化祭には参加せずに、ひとりで湯ヶ島へ行った。もちろん、映画に惹かれたこともあったが、それより、繰り返し読んだ原作の主人公と同じ道を歩いてみたいと思ったのだ。それから、秘法のメンバーたちと、彼らの家族も一緒に、下田に行き大島にも行き。そう言えば、大島には、わたしが製作兼助監督兼出演で加わった映画「黄色い銃声」(監督・伴睦人)のロケでも行ったな。それから修善寺にも …。(誰と? それは書けない)

ひばりが歌う主題歌がとてもいい。「三宅出るとき 誰が来て泣いた 石のよな手で 親さまが まめで暮らせと ホロホロ泣いた 椿ほろほろ 散っていた ~」。作詞・作曲は木下忠司であることは今回初めて知った。わたしの(多分?)もっとも好きな映画「関の弥太っぺ」の音楽も氏が担当している。ともに、哀切な旋律を主とした音楽だが、そうか、「関の~」を初めて見た時、監督・山下耕作の演出にも、錦之助をはじめとする出演者すべての演技にも感動したのだが、なにより、弥太っぺの死を予感させるラストシーンに滂沱の涙を流したのは、そこで流れる音楽が、ひばりの「伊豆の踊子」に重なったからなのだ。

 

 

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