竹内銃一郎のキノG語録

久しぶりの旅① 福井篇 2020.09.25

先週の木曜日、前回触れたように、高校演劇大会の審査を仰せつかって福井行。久しぶりに永平寺に行きたくて、大会開催前日の午前中に福井駅に到着。天気予報から雨降りを恐れたがギリギリ持ちこたえそうな気配、4泊するホテルに荷物を預けて、永平寺目指してえちぜん鉄道に乗り込んで25分、永平寺口駅に着いて唖然となる。わたしの父、母、弟が亡くなったそれぞれの翌年、彼らのお骨を持って、姉たちと永平寺に来たときは、駅から歩いて10~15分ほどのところにあったはずだが、いまは駅から6キロのところにと聞き、坂道でなおかつ雨がパラパラ降ってきたとあっては歩いても行けず。バスに乗って20分ほどであったか、到着した永平寺の20年ぶりに見るそのお姿、「荘厳」の二文字とともにわたしの記憶にあったのだが、なにか「受け」を狙っているような軽さを感じてしまい、雨に濡れた不快も手伝って、来るべきではなかったと後悔しきり。

19日(土)から始まった演劇大会。正直なところあまり期待していなかったのだが、上演された初日の4本の芝居に好感を持つ。近年はたまにしか見ない<大人の芝居>に比べ、なにより作り手の真摯さが心地よかったのだ。最終日の21日(月)に上演された4本のうち3本は、事前に読んでいた上演台本の面白さに驚き、どんな芝居に? と大きな期待を持って臨んだのだったが、残念ながらいずれもイマイチ。おそらく、コロナ感染の影響で稽古に十分時間をとれなかったこともあろうが、やっぱり、出演者及び演出・スタッフ諸兄に、こういう作品を作りたいという熱意が足りないような。それは何故か? おそらく彼らは誰も、作り手の熱意を感じさせるような<憧れの作品>に出会ったことがないからだろう。それは、一本終わるたびに会場に用意されたボードに貼られる、他校の演劇部員たちの感想文からも感じられた。すべてを隈なく読んだわけではないが、どれもが最高級の誉め言葉を使って書かれていて、それは本当にそう思っているわけではなく、作り手からの反発を受けないように、そして、いじめ・差別につながらないようにという、慎ましすぎる考慮から生まれたものであるからだろう。本当の気持ちを他人に伝えるのが怖いの? それとも自分の本当の気持ちが分からない?

全12作上演終了後、他の審査員おふたりとともに、中部大会に出場してもらう2校を選出。うち1校はミュージカル仕立てで、その歌・歌唱力にはかなりのものであった。さらに、脚本賞を2校(ふたり?)、そして、講評で思わず「わたしはファンになっちゃいました」と言ってしまった、一年生の女子に「奨励賞」を贈ることとなった。

大会終了後、今回わたしに審査員をと粘り強く(?)お願いされた川村先生と、中部大会への出場が決まったミュージカルじゃない作品を作った高校の藤井先生と3人で軽く一杯。川村先生は6,7年前に高校教師を定年で辞められ、いまは10人くらいの地元の人たちと劇団活動を続けられている由。彼とは20年ほど前に前述の「中部大会」の審査員をした時に知り合い、その後、他の審査員の先生ともども2、3度一緒に旅行に行ったり、あるいは、わたしの芝居もわざわざはるばる見に来てくれる、そんな関係が長く続いていたのだが、今回はおそらく10年ぶりに近い再会。藤井先生はまだ20代の若い女性教師だったこともあって、実に楽しい2時間を過ごす。ハ、ハ、ハ。

 

 

 

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