竹内銃一郎のキノG語録

久しぶりの旅② 新深の松の緑と、珍々たる尾山神社に惹かれた金沢行2020.09.30

福井から金沢に移動したのは先週の22日だったから、まだ一週間ちょっとしか経ってないのになんだか昔の出来事のような。日々加速する記憶力の減退。でも、忘れがたいのは兼六園の松の緑の素晴らしさ。近年に見る松の多くは、虫にやられているのか枯れかかっっているのか、ほぼほぼ茶色に染まっているのだが、兼六園の松のほとんどは深遠な新深の緑色で、ため息が出るような見事さ。葉の緑だけではない。「根上松」と命名された松の木は、根っこが地上で互いに絡み合う様を見せていて、それはまるで、ワッショイワッショイと賑やかな声を上げて、わたしの地元の巨大な山車をみなで持ち上げているような、凄さ見事さ。家に帰ってネットで見たら、あれは自然にああなったわけではなく人の手によるものらしい。まあ、よくあんなことが出来るものだと、さらに驚く。多くのひとは春は桜に、秋には紅葉に誘われて旅に出たりするが、いやいや、少なくとも兼六園の松の緑とその姿形は、桜や紅葉を遥かに超える、見るものを陶然とさせる美しさだ。

金沢へはこれまで三度行ったことがある。最初は高校二年生の時。入学出来ればと思っていた、金沢大学を見に行ったのだ。その時には大学のある金沢城はもちろん、兼六園にも行ったはずだがなにも記憶はなく、覚えているのは、金沢出身の文学者、泉鏡花や室生犀星や徳田秋声の石碑を眺めて、そこに書かれている言葉をノートに書き留めたことだけだ。二度目は、「月ノ光」を書くために、というか、書けなくなったので気分転換のために出かけたのだった。高校生の時は、当然お金もなかったから、夜行で行って一泊もせず夜行で帰ったはずだが、この時は多分、2、3泊はしたはず。季節は冬で、木々を囲う雪吊り、整然と並ぶ武家屋敷の塀を覆うこも掛けは、久しぶりに行って、ああ、ここにはアレがと思い出した。この時、なぜ金沢を選んだのか。それは戯曲の舞台に設定したチェコのプラハに近いのでは? と思ったからだが、金沢行が書くことのプラスになったかどうかはよく分からない。そう言えば、岩松(了)さんから、彼も戯曲を書くために金沢に行ったと聞いたが、その戯曲が「月光のつつしみ」なので、なんたる偶然(!)と驚く。三度目は、わたしと同じ年に近大に入学した学生10人、女子ばっかりと。確か、彼女たちが4年生になる前の春休みだったのでは? う~ん、どこでなにをしたのかなんにも覚えていないが、でも、諸君、楽しい一泊二日の旅だったことだけは覚えているぞよ。

今回行った金沢は二泊三日だったが、あっちこっち合計35キロを歩く。観光客で賑わっていたひがし茶屋街や近江町市場にはさほどの関心も持てなかったが、「神社でありながら教会のステンドグラスを模した神門」(ネットより引用)で迎える尾山神社は、今回初めてその存在を知り、宿泊したホテルの近くにあったので幾度も足を運んだ。その珍しさ美しさに惹かれたからである。

 

一覧