竹内銃一郎のキノG語録

活動の記憶⑲  1982年「夢みる、力。」書けず。35歳に戻りたい。 2020.10.11

本日10月11日はわたしの誕生日、73歳になりました。ま、まさかこんな歳になるまで生きようとは。ふー。

今日の府中の5R新馬戦に今年のわたしのPOGドラフトNO2の期待馬、アルマドラードが出走。圧倒的な一番人気だったが、パドックを歩くその姿かたちには「これはA級!」と思わせるところなく、大丈夫かな? と不安がよぎり、でも、負けても2着にはと思ったら、勝ち馬から少なからずの差があった4着。なんだよ、アルマくん。見事な勝ちっぷりをご披露してワシの誕生日をお祝ってくれると思ったのにィー(泣)

というわけで? 長らくご無沙汰していた「活動の記憶」を今日から再開することに。前回の⑱を見ると、「戸惑いの~」で終わっている。ということは、う~ん、苦い記憶しかない「秘法参番館」公演として予定していた「夢みる、力」が書けず、多方面にご迷惑をおかして云々、ついて書かねばならない。まあ、これまでも何度かこのブログでも取り上げているのだが。

おそらく、予定の新作が書けなかったのは、弐番館公演の「戸惑い~」に関する不満・反省が重圧になったのだと、今になればそれが分かるが、まあ、ほんとに何も書けなかったのだ。とにもかくにもといった感じでタイトルを考え、中身をオリンピック種目になった「二人三脚」のトレーニングに日々励む者たちの話にとそこまでは思いつき、最初の数頁を書いては消し書いては消しを繰り返しているうちに、本番まで一カ月しかなくなった頃だろう、先行きがまったく見えなくなって、とうとうギブアップしたのだった。5月の東京公演を皮切りに、6月に大阪、7月に名古屋と決まっていたので、予定していた新作の代わりに斜光社でやった「ドッペルゲンガー殺人事件」を演目にと連絡すると、大阪の劇場・オレンジルームから、「勝手に決められても困る。直接話をしたいからこっちに来てくれ」と言われ。この歳になれば、お怒りごもっともと思うのだが、その時は、「ドッペルゲンガー~」の書き直しがあり稽古もありで、大阪まで行ってる暇はねえんだよ。それともなにか? 大阪へ行って平身低頭すれば、そっちに持ってく芝居がそれほどのものでなくてもいいわけ? なんて煮えくり返る腹を抱えて大阪へ行き。年齢のせいで現在はあれこれ多くのことを忘れてしまっているが、大阪でのこの時のやりとりのことは、かなり鮮明に覚えている。「勝手に演目を替えて、新作を期待していた客に申し訳ないとは思わないのか」と言われて、わたしは、「確かに、お客は新作を期待していたかもしれないけれど、それよりも、より面白い芝居を観たいと思ってるはず。だから、面白いものを作りますよ」と反論。この時、名古屋公演で使う劇場、七つ寺共同スタジオの二村さん、当時は名古屋のプガジャにいた小堀さんも同席していたのだが、このお二人一言も語らず、それが申し訳なくもありがたく思われて …。それから、当初「夢みる~」は、ザ・スズナリで上演する予定で、劇場側があの「ナショナル電気」から助成金50万円を取ってくれていたのだが、もちろん、それはないことになってしまい、別に劇場側が金銭的な不利益を被ったわけではないだろうが、無駄骨折らされて …と思っただろう。

「ドッペルゲンガー~」の再演は、東十条の映画館・銀杏座を借りたこと、手塚さんの舞台美術も結構鮮明に覚えているが、キャスティングは? 初演では情児がやった主役の刑事役は、木場さんがやったのかな? 全く覚えていない。1982年の出来事だから、今から38年前。ってことは、わたしは35歳か。う~ん。この頃に戻りたい。戻って「夢みる、力。」ちゃんと書いて上演したいな。

 

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