竹内銃一郎のキノG語録

活動の記憶⑳ 前年に続き、思い出すと今でも気分が凹む1983年2020.10.16

先週、久しぶりに出かけた「珈琲屋直」のナオくんに、グザヴィエ・ドランの新作が只今上映中だと聞き、今週月曜に見に行く。ナオくんは詰まらないと言っていたが、日本では今年公開されたX・ドランの「ジョン・F~」も期待していたほどの作品ではなかったが、わたしのナイーブな(?!)感情を何度かヒクヒクさせられていたので、それなりの期待感を抱いてこれまた久しぶりに映画館に出かけたのだが、ウーン。ドランは右頬に大きな赤いアザを持つ主役を演じてもいたのだが …、感想を一言で言えばガックシ。家に帰ってふと、レオス・カラックスのことを想い出す。ドランは21歳で監督デビューし、L・カラックスも23歳の時、「ボーイ・ミーツ・ガール」でデビュー。ドランの最高傑作「たかが世界の終わり」は彼が27歳の時の作品で、カラックスの忘れられない傑作「汚れた血」は彼が26歳の時の作品。似ている! 更には、両作品以降、ふたりともゆっくりではあるが、歳を重ねるとともに坂を下っているようなところも。さっきウィキで検索したら、カラックスは今年の11月で還暦を迎えるらしい。うーん。結構いっちゃたんだなあ、彼も。

噺かわって。「夢みる、力。」書けずとなった82年の11月には、わたしの実質デビュー作「少年巨人」と秘法の3度目に上演した「戸惑い~」の二本立て公演を。新作が書けなかったからというより、新作に挑む気力がなかったからだろう。翌年の9月に桃の会の第一回目の公演となった「今は昔、栄養映画館」を上演。この時も、ホンを書き上げたのは、おそらく初日の2,3日前ではなかったか。この翌月に、秘法4番館公演として、「かきに赤い花咲くいつかのあの家」を上演したのだから、いくらなんでも無理からで。本棚を確認してみると「今は昔、~」は雑誌「新劇」の10月号に、「かきに赤い花~」は12月号に掲載されているから驚きである。後者は雑誌の締切りに間に合わず、編集者の岡野氏に、「締切りに間に合わせるのは無理なんで …」と伝えたのだが、「なんとか頑張って」という趣旨の言葉を返されて、なんとか書き上げたのだが、実際は作品の体をなしていない。冒頭はカフカの「変身」の冒頭をほぼ丸写し、ラストは「あの大鴉、さえも」のラストで引用させていただいた中江俊夫氏の別の詩「連禱」を引用。これだけではない。作品の文末には「付記」が置かれていて、そこから本作は、正津勉氏の詩、赤瀬川原平、荒木経惟、種村季弘、W・ブレイク、そしてカフカの「手紙」「日記」等々、およそ半分以上がこれらの方々の作品の引用で埋め尽くされていることが分かって、なおかつ、それでもどうにもなりませんでしたと自ら告白しているような作品になっている。関係者の皆々様に申し訳ないやら恥ずかしいやらで、今でも思い出すと気分が凹む。何十年かぶりに雑誌に掲載された本作を見ると、作品のおよそ三分の二には、×印が打ってあったり、鉛筆で新しい台詞が殴り書きされていた。雑誌掲載締切りから本番まで、おそらく半月くらいはあり、全体の半分くらいは書き直して上演したはず。

公演は、ザ・スズナリから始まって、大阪のオレンジルーム、京都のアビックス(どこにあったんだろう?)、名古屋の七つ寺共同スタジオ、そして、さっきネット検索をして思い出したのだが、最後は、法政の学生たちに招かれて、同大学の学生会館大ホールで上演したのだ。そう、彼らに舞台の仕込み・バラシも手伝ってもらったっけ。わたし達の公演の前だったか後だったか、フォークシンガーの友部正人が同じ場所で確か歌ったような …。同時期に、黒沢清の「神田川淫乱戦争」も同じところで上映されていたらしい。アララ、これは全然覚えていない。

 

 

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