竹内銃一郎のキノG語録

わたしのお回顧様 2020① まるで戦時下のような一年2020.12.30

「さいごのきゅうか」の稽古、先週土曜でひとまず終了し、年が明けて4日から再開して約3週間で本番。出演者諸君はある程度のレベルには達しつつあり、京都市と文化庁からの助成金が合計40万円強貰えることになって、とりあえずホッとはしたのだが ……。

わたしの記憶力の衰えはここにきて凄まじいことになっていて、このブログで「活動の記憶」を延々書き続けているのも、いま書いておかないとなにもかも忘れてしまうのでは? という恐れからである。だから、「今年ほど気分が落ち込んだ年は生まれで始めてだ」、などというのも正直なところ半信半疑だが、てことは? 半分ほどは信用できるということだ、うん。

このブログを今年の1月分からザザッと読み返してみると、1月は映画「パラサイト~」に興奮し、2月にはわたしが近大に赴任した2000年に近大の舞台芸術専攻に入学した諸君との「同窓会」で盛り上がったことが書かれている。いうまでもなく、この頃すでに新型コロナ感染流行の兆しはあったのだが、30人近く教室で2~3時間過ごし、そのあと難波の居酒屋で二次会をやっぱり2、3時間。いま思えば夢のような一日だった。3月には、6月に予定していたキノG‐7公演を来年1月に延期することを「苦渋の決断」。この時はすでに、寒くなる11月以降には更なるコロナ感染の流行が、なんてTV等で言われていたが、わたしはほとんど信じてはいなかった。同じ頃、柴部から驚きのメールが届いて、近々会おうなんてメールもしたが、コロナ感染がなくなった時にと約束。同じ頃、京都に来た柄本さんを介して直珈琲のマスターとお近づきになり。う~ん、ここまではまだよかったんだ。しかし、そこから日を追うごとにズルズルと気分が泥沼に。いや、9月と11月に、福井県の高校演劇の指導を終えた翌日から金沢で過ごした、二つ合わせて5日間は実に実に、少々オーバーになるが、夢のような楽しい時間を満喫したのだったが。

今年は例年にも増してよく歩きましたな。それはもちろん、体力保持と体重減を目的としたものであったが、人通りがまばらであるにもかかわらず、マスクを外さない人々への反発の誇示で、早い話、自由を制限されるまるで戦時下にあるような気がしてムカツいたのだ。でも、今はマスクをしています、だって寒いんだもん。マスクといえば。来年1月上演の「さいごのきゅうか」は、登場人物はみなマスク着用とした。もちろん、現状を踏まえた選択ではあるのだが、豪雪のために登場人物たちはみな室内に閉じ込められているという物語の設定を、マスク着用が雄弁に物語るように思われたからである。本番ではマスクをマウスシールドに変えます、念のため。

年賀状約90枚、昨日投函。先月の終わり頃であったか、斜光社の中期から秘法、さらにJIS企画等のわたしが演出した舞台の照明の大半を担当してくれた、吉倉の奥さんが亡くなったことを知らせる、喪中ハガキが届いた。その奥さんは秘法の劇団員だった古川さんで、来年6月に公演予定の「恋愛日記 86’春」にも出演している。享年56歳。まだ若かったのだ。無念なり。合掌。

 

 

 

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