コロラドの月を2021.03.16
とりあえず、宣伝から。
今年1月末に上演したキノG‐7公演「さいごのきゅうか」の映像配信を、ツイキャスというサイトで、3/20(土)13時〜4/3(土)の限定で開始! チケットは1500円(+手数料100円)。アカウント登録が必要ですが、Twitterをやっている人なら簡単にログイン可。購入者は期間中なら何度でも視聴できます。ツイキャス⇒https://twitcasting.tv/kino_g7/shopcart/59142
昨日今日とまたまた太秦まで散歩。合計25キロ! 今日は広隆寺に入る。その昔、歴史の教科書で見た弥勒菩薩半カ思惟像(カの漢字が出てこない)をはじめとする30体余の仏像に心うたれる。こんなことはもしかしたら生まれて初めてかもしれない。中でも、あれは吉祥天立像といったか、驚いたことに、無邪気な可愛い子どもにも、すべてを悟った老師にも、男性にも女性にも、笑っているようにも泣いているようにも見えたのだ。
公演が終わって先月一か月、ずーっとボーとしていて、これでは一か月後に始まる「恋愛日記~」の稽古に入れないと少々焦り、数日前から、散歩に出る時は鞄の中に本を2,3冊入れて、疲れたら喫茶店等に入ってそれを読むことにしている。そのうちの一冊、「現代詩文庫 天野忠詩集」(思潮社)を読んでいたら、アララと驚きの発見が。氏の詩を引用して戯曲を書いたことがあり、中でも記憶が鮮明なのは、「あたま山心中」の終わりに読まれる「遊園地にて」で、久しぶりにそれに触れて顔をほころばせたのだった。あるいは、「伝染」で使った、病気のないのが私の病気 一人暮らしの老女は 寝床の中でツンと足をのばす で始まる「就眠法」。しかし、「コロラドの月を」には ……。「月ノ光」のラストに、こんなやりとりが。
グラックス、いきなりカールを撃つ! 銃声を合図に中天に大きな月が出る!
K (くしゃみして)ああ、冷えるな、今夜は。
兄 あれは?!
K コロラドの月だよ。俺は嘘はつかない。 (注 Kはカール、兄はグラックス)
この「コロラドの月が出る」は、アメリカ民謡(?)の「コロラドの月」が頭にあって書いたのだと、わたしはずっと思っていたのだが、今回、天野忠の詩に触れ、間違いなく、この詩が頭のどこかに残っていて、こんな素っ頓狂ともいえる発想・台詞が頭に浮かんだのだと気づいた。下記は、氏にしてはかなり長めの詩の一部
コロラドには 孫が女、男、男と三人も居て 母親に教えられて 家の前のきれいなふんわりした芝生の上で 三人並んで オジイチャン、イラッシャイ、と おかしなアクセントの日本語で 照れ臭い声で、教えられたスマイルの顔で 私を迎えてくれるのに違いないのだが そしてあの大きな図体のパーソロミューという老犬 いちばん懐かしいお前も汚い尾を振りながら よたよたと頭を下げて近寄ってくることだろうが 私は行かない