フランス映画史の誘惑2021.04.13
6月にE9で上演する「恋愛日記 ’86春」のタイトルは、F・トリュフォーの映画からタイトルを借用したものだが、物語の内容はなんの関係もなく、同監督の「恋のエチュード」から引用した台詞が幾つかあって、主人公というべき男がふたりの姉妹の間を行ったり来たりするというメインストーリーも、同映画からインスパイアされたものである。35年ぶりの再演の稽古が間もなく始まるので参考のため、久しぶりに「恋のエチュード」を見ようと本棚に山と積まれているDVD群の中を探したが見つからない。そうだ、何度か家で見たあの映画はビデオに入っていたのだ。ああ、もうビデオは見られない⤵。
何回か前に、ルネ・クレールの「リラの門」に心躍らせたことを書いたが、改めて、自分はフランス映画から多大なる影響を受けていることに気づき、Amazonに注文して昨日届いた、中条省平の「フランス映画史の誘惑」(集英社新書)を読む。改めて知らされたことは、20代30代のわたしが多大なる影響を受けたのは、トリュフォーやゴダールだけでなく、J・ルノワール、J・ヴィゴ、R・ブレッソン、R・カラックス、そして、「恋愛日記~」の初演では、J・ドゥミの「シェルブールの雨傘」の主題歌を使っているのだ、それからA・ヴァルダの「幸福」やルイ・マルの「地下鉄のザジ」等にも。
それにしても、わたしの記憶喪失ぶりは尋常ではない。もちろん、高齢者になったことがその最大の要因だとは思うが、去年から記憶喪失化のスピードがグイとギアを上げたのは、おそらく新コロ感染の過激化がそうさせたのだ。だって、一年の8~9割は奥さんとしか話はしていないし、その話の内容の大半は、メシはどうするとか、今日は何時に風呂に入るかとか、そんな日常茶飯にかかわるモノのみである。そりゃ、アニエス・ヴァルダなんて忘れるわサ。
「フランス映画史~」には、驚くべき逸話が書かれていた。「現金に手を出すな」「穴」といった傑作を撮っているJ・ベッケルは、90年代以降、わたしも夢中になったH・ホークスを尊敬していて、フランスの映画雑誌「カイユ・デュ・シネマ」誌上でホークスにインタヴューを行っているのだが、この時、トリュフォーもベッケルと一緒にホークスの話を聞いていたというのである。彼はこの時、まだ20代の批評家だったとか。う~ん、なんと嬉しいお話だ。