竹内銃一郎のキノG語録

ムム? 久しぶりに「恋のエチュード」を見て。2021.04.26

とりあえず、緊急事態宣言下での稽古場が来月11日分まで決まる。明日は、稽古場の進行を撮影し、配信してもらう岩切さんの「狂熱の市場劇場」を借りることにし、明後日以降は、F.ジャパンさんが所属する「劇団衛星」の稽古場、藤原さんが懇意にしているらしい「劇団京芸」の稽古場を借りられることになった。もちろん、こんな事態になることを想定して今回公演の出演を彼らにお願いしたわけではないが、いやあ、なんというクリーンヒットであろうか。
一昨日の稽古は、2日目であるにもかかわらず、読み合わせとは言いつつ、台本を手に台詞を読みながら、動いてもらう。このブログにも書き、稽古初日にもみなに話したのだが、コロナ感染下での公演であることを有効な手段とすべく、互いに距離をとり相手に背を向けて語ることが、互いの密なる関係を感じさせることが出来ないか。そのことをテーマに動き語りの指示をしていくつもりだ。
昨日、ゲオ宅配でレンタルした「恋のエチュード」を見る。20~30年ぶりに見た感想は? 
これも以前に書いたが、6月に上演する「恋愛日記~」の物語の骨格、即ち、ひとりの男が姉妹ふたりを愛してしまい …は、この映画からのいただきで、主人公の男(=売れない映画監督)が、自分の新作シナリオの台詞として語る台詞の幾つかは、この映画の台詞からの引用である。確かに、引用した台詞が語られるシーン、あるいは、姉を失くした妹が男に書いた「別れの言葉」が読まれるシーンは、懐かしさもあってわたしの心に響いたのだが、映画全体としてはなんともイマイチで。
以前に見た時は、これはトリュフォーの代表作だと思い、だからこそ芝居にしたいと思ったのだが、年齢を重ねたいまのわたしの目には、妹⇒姉⇒妹⇒姉と心変わりする男の理由が不鮮明で、いや、そういう男だからこそ魅力的なのだと思わせてくれたら面白いのだが、そんなところはなく、また、姉妹の確執、いや、男に関連するやりとりがほとんどないのがなんとも物足りず。原作の小説にはそれらのことが書かれているはずで、しかしおそらく、上演時間の関係もあってそういう箇所は省略したのだろう。
久しぶりに見たいと思ったのは、前回上演と同様、この映画のサントラを、とりわけ前述の台詞を引用している場面で、流そうと思っているからだった。しかし、驚いたことに、それらの場面に流れる音楽は、かってわたし(たち)が使った曲ではなく、ということは、わたし(たち)が使った曲は別のシーンで流されていたのである。確か、あの頃、懇意にしていた宮崎くん(黒木和雄さんの助監督だった若者)が貸してくれた「恋のエチュード」のサントラを聴いて、このシーンにはこの曲をと選んだのは、わたしだったはず。あと、主人公・オオスギの古い友人で、彼の奥さんに恋しているスズキの台詞のバックに「シェルブールの雨傘」を流し、オオスギの奥さんの妹とつきあってるイシカワの苦い台詞のバックには、忌野清志郎の「スローバラード」を流し ……。今回もそれらを再現するかどうか、じっくり考えないと。

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