だから、F・マクドーマンドは名優なのだ。 「恋愛日記」の稽古日記②2021.05.19
天気予報によれば、今週はほぼほぼ雨降りの日々になるらしい。昨日は雨降る中を河原町四条まで歩き、映画「ノマドランド」を見る。わたしの大好きなF・マクドーマンドが主役を演じているらしいからだった。彼女は、これまたわたしの好きなコーエン兄弟の兄貴の方の奥さんで、「ファーゴ」を始めとするコーエン映画の大半に出演しているし、わたしがこれまで見た映画の中ではNO.1の「ムーンライズ・キングダム」等のW・アンダーソンの映画にも出ていて、M・マクドナーの傑作「スリー・ブルボード」でも主役を演じた、当代最高の女優さんだ。
「ノマドランド」は、これまでわたしの見た映画はおそらく数千本に及ぶはずだが、こんな映画は稀有中の稀有、しいてあげれば、清水宏監督の「蜂の巣の子供たち」くらいか。
「蜂の巣~」は戦後まもなく公開された、戦争で家族を失くした子供たちの日々を描いた映画で、10数人の彼らが、戦地から帰って来たばかりの青年と、下関から四国(どこだったかな?)そして神戸と働きながら旅をして、最後は青年が育った九州(福岡?)の孤児院にたどり着く、という映画だが、主役というべき子供たちは本物の孤児たちで、これが皆が皆、笑わせては泣かせる快演を演じてみせたのだ。そう、「ノマドランド」もまた。
ノマドとは、ネットで検索すると、「遊牧民。放浪者」とあり、また「近年、IT機器を駆使してオフィスだけでなく様々な場所で仕事をする新しいワークスタイルを指す言葉として定着した。このような働き方をノマドワーキング、こうした働き方をする人をノマドワーカーなどと呼ぶ。」とあって、これはつまり、現在の新型コロナ感染下で政府が推奨する<働き方>を意味するものだが、この映画に登場する人々の大半は、家を捨て家族とも離別して、ノマドランド即ち「遊牧民たちの国、土地」に、ひとりキャンピングカーで日々を暮らすノマドたちだ。驚いたのは、F・マクドーマンドと、彼女に「一緒に住まないか」と告白する男以外のノマドを演じる人々は、以前に触れた「だれもが愛しいチャンピオン」の知的あるいは身体障碍者たちと同様、みな本物のノマドであり、さらに驚いたのは、マクドーマンドが彼らといささかも違わない、「本物のノマド」としか見えない、思えないところだった。
映画が始まってしばらくは、マクドが主役の映画だから、ノマドたちの間で争いごとが起こり、事件が発生し、彼女はその犯人に? などとその線で物語の進行を推測していたが、これがまったくの的外れ、事件らしい事件と言えば、親しくなったノマド仲間のひとりが、ともに過ごしていた場所を離れるところとか、あるいは、難病を抱えていた老女が亡くなってしまうとか等々の別れの場面、言うならば、誰しもが日常で出会うようなことばかり。あるいは、一緒に住まないかと誘われた男の家に招かれ、彼の家族にも歓迎されたのだが、その夜、家のベッドを離れて自らの車の中のベッドに移って夜を過ごす、とか。ラスト、ノマドランドの中心人物から神聖な(?)言葉を聞いて、涙ぐむ彼女にわたしも誘われてしまい ……。この時、彼が発した言葉だったか、「さよならはいらない。ひとはいつかまた会えるのだから」。フムフムと頷く。
稽古はなかなか思うように進まない。少なからずの出演者たちは、演技は「作品のテーマとは何?」とか「この台詞はどういう気持ちで?」とかを真面目に考えているようだ。いらないんだけどな。そんなことを考えるのは、二流以下の批評家だけでいいのに。演技に際して必要なのは、嘘も隠しもせず「これがわたしだ」と表明すること。ただこれだけだ。F・マクドーマンドはどんな役を演じても、そこのところを外さない。だから素晴らしいのだ。