泣きたい夜にひとりでいると … 活動の記憶㉜2021.06.29
久しぶりにシャルロット・ゲンズブール出演の映画を見る。録画しておいた「母との約束、250通の手紙」。詰まらなくはないが採点すれば70点? ただ、一人息子に優し過ぎ厳し過ぎる過激な母親を演じるシャルロットがやっぱり凄い。50歳近くになってもまだ可愛いし。彼女がまだ10代半ばの時に出演した「なまいきシャルロット」「小さな泥棒」を見て、このひと主役のシナリオ・戯曲を書けたら、わたしにオファーがきたら、と切に思ったものだ。好き。
前回にも触れた「伝染」についてもう少し。初演の時のタイトルには「伝染」に続いて「泣きたいジャスミンおとこの夜」もついていた。「ジャスミンおとこ」は、ウニカ・チュルンという統合失調症の女性の手記で、ジャスミンの匂いがするおとこが時々彼女の前に現れ、そのことにいかに悩まされ、いかにそのことを待ち望んでいたかが書かれていた(はず)。劇の中では主人公のレミがその一節を読むシーンもある。「ジャスミンおとこ」を前後で挟んでいる「泣きたい」と「夜」は、中島みゆきの「泣きたい夜に」からのいただきである。老婆たちが語るこの歌の歌詞と、この劇の主人公と言うべきレミと彼女の<産まれなかった>息子とがともに語る「家なき子」のラストとが重なり合いながらこの劇は幕を下ろすことになっている。
2週間前に終わった「恋愛日記 ~」は、トリュフォーの映画の台詞をはじめとして、ただならぬ量の引用から成り立っていたが、翌年初演のこれも同様で、上記の他にも、ダイラケの漫才「家庭混戦記」、夢野久作の「ドグラマグラ」、天野忠の詩「就眠法」等々、引用数多である。中でも、ダイラケの「家庭混戦記」のおかしさは格別で、これがこの戯曲の両輪のひとつ。ダイマルの父親とダイマルの娘が結婚するのである。ラケットがそんなことはありえないというと、娘は彼の奥さんの連れ子で血のつながりはないから問題ないというが、ここからの話が絶品なのだが長くなるので省略。気になる方はYouTubeでご覧あれ。両輪のもうひとつが、中島みゆきの詩・曲で、この戯曲は全9シーンから成り立っているのだが、それぞれのタイトルは、S1「わたしの声が聞こえますか」からS8「親愛なる者へ」まで、すべてみゆきさんのアルバムのタイトルを借用している。以下は「泣きたい夜に」の歌詞の最後のところ。
なんて暗い時代を泳ぐひな魚のように 泣きたい夜に一人はいけない あたしのそばにおいで
クー(泣)。
1992年の3本目、「インド人はブロンクスに行きたがっている」は、劇団B級遊撃隊により11月21~24日に愛知県芸術劇場小ホールにて上演された。劇場のこけら落としの作品のひとつだったはず。作者はアメリカのイズレイル・ホロヴィッツ。わたしは演出担当。この戯曲は「現代アメリカ戯曲全集」入ってたので以前に読んでいたのだが、上演を前提に読み直すと、台詞がいかにも直訳風だったので、原文を借りて、かなり書き直したように記憶している。記憶していると言えば、この本の作者が、上演時期に日本に来るのでこの芝居を見に来ると聞き、ヨッシャーと思ったのだが、結局は来ず。ただ、この時、この作者は映画「レインマン」のシナリオライターであると聞いていたが、さっきネットで確認してみると、「レインマン」のライターはバリー・レヴィンソンとあった。わたしの記憶違いだろうか?
登場人物が3人ということもあり、劇団の方から2組に分けて上演したいと申し出があり、それをOKして稽古を開始したのだが、Soul Sideと名付けられた組のひとりがあまりにあまりだったので、座長の佃くんに「彼を降ろしたいのだが …」と相談すると、暗く沈んだ面持ちで彼がOKを出したので、結局、佃くんが2組ともに出演することに。何年か後に、降ろした彼がいまは劇団の演出を担当していることを知って、それはよかったと胸を撫でおろす。その彼は神谷尚吾くんで、最近、わたしの「あの大鴉、さえも」を上演してくれた。